サムエル記上7章
12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた」(新共同訳)。
1節「キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた」。6章21節の続きである。この日から20年間この場所に置かれていた(2節)。
3節「サムエルは…『あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい』…」。サムエルの活躍が始まる。20年間に学んだことは何か。それは悔改めて主に立ち帰り、偶像を取り除き主に仕えることである。民はバアルとアシュトロトの神を取り除き、ただ主にのみ仕えた(4節)。シロにあった祭壇はペリシテによって破壊されていたので、サムエルはミツパにイスラエルを全員集めて断食し、「わたしたちは罪を犯しました」と告白した。サムエルはここで士師の働きとして民を裁いた(5~6節)。イスラエルがミツパに集まっていることを聞いたペリシテの領主たちは攻め上ってきたので、「我々の神、主の助けを求めて叫んで下さい」とサムエルに願った(7~8節)。
9節「サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた」。この祭りの最中にペリシテ軍が戦いを挑んで来たが、主は雷鳴をとどろかせ、混乱に陥れて、イスラエルの兵に打ち負かされた。ミズパからベト・カルの下まで追って行き討った(10~11節)。
12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた」。口語訳「エベネゼル」(主はわが助け)である。神中心に生きるなら、神が味方して敵を打ち倒すことが出来るという教訓である。4章1節にも同地名があるが別の地である。ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。ペリシテ人が奪い取っていたエクロンからガトまでの町とその周辺の村々は再びイスラエルのものとなった(13~14節)。サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行い、毎年ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、彼の家があったラマに戻った。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた(15~17節)。
キリスト者もまた主にのみ信頼する時(4節)、主はわが助けと告白できる。ここからローマ8章31節「…もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」が示される。
12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた」(新共同訳)。
1節「キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた」。6章21節の続きである。この日から20年間この場所に置かれていた(2節)。
3節「サムエルは…『あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい』…」。サムエルの活躍が始まる。20年間に学んだことは何か。それは悔改めて主に立ち帰り、偶像を取り除き主に仕えることである。民はバアルとアシュトロトの神を取り除き、ただ主にのみ仕えた(4節)。シロにあった祭壇はペリシテによって破壊されていたので、サムエルはミツパにイスラエルを全員集めて断食し、「わたしたちは罪を犯しました」と告白した。サムエルはここで士師の働きとして民を裁いた(5~6節)。イスラエルがミツパに集まっていることを聞いたペリシテの領主たちは攻め上ってきたので、「我々の神、主の助けを求めて叫んで下さい」とサムエルに願った(7~8節)。
9節「サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた」。この祭りの最中にペリシテ軍が戦いを挑んで来たが、主は雷鳴をとどろかせ、混乱に陥れて、イスラエルの兵に打ち負かされた。ミズパからベト・カルの下まで追って行き討った(10~11節)。
12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた」。口語訳「エベネゼル」(主はわが助け)である。神中心に生きるなら、神が味方して敵を打ち倒すことが出来るという教訓である。4章1節にも同地名があるが別の地である。ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。ペリシテ人が奪い取っていたエクロンからガトまでの町とその周辺の村々は再びイスラエルのものとなった(13~14節)。サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行い、毎年ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、彼の家があったラマに戻った。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた(15~17節)。
キリスト者もまた主にのみ信頼する時(4節)、主はわが助けと告白できる。ここからローマ8章31節「…もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」が示される。