日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

この戦いは主のものだ

2012-01-25 | Weblog
  サムエル記上17章 

  47節「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、…すべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」(新共同訳)

  1節「ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を張った」。本章はダビデとゴリアトの一騎打という一つの物語として読むことが出来る。エラの谷を挟んでペリシテ軍とイスラエル兵が対峙した。ペリシテ陣地から背丈六アンマ半(2.9メートル)の巨人ゴリアトというガド出身の戦士が出て来た(2~4節)。同名の人物がサムエル記下21章19節にあり、彼はベツレヘム出身のエルハナンが打ち殺したことになっているが物語は混乱するので、ここでは無視する。5~7節にゴリアトが屈指の戦士で身に着けた武具は尋常ではないことを説いている。彼の前には、盾持ちがいた。イスラエルの陣営に向かって一騎打ちをしようと名乗りを上げ、負けた方の陣営はみな奴隷になると叫んだ(5~10節)。
  余談であるが、イスラエル旅行をした時、このエラの谷に行き手土産に小石を拾って帰った。子供たちにこの物語を聞かせる為だったが、今は地形がすっかり変わっていた。
  11節「サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた」。この戦いにはエッサイの三人の息子エリアブ、アビナダブ、シャンマという三人の兄が出陣していた。この時末息子のダビデは16章14~23節にある通りサウル王にもっぱら仕えていると考えられたが、ここでは「行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊を世話したりしていた」とある(15節)。父親はダビデに戦いの陣営にいる兄達にパンと炒り麦を届けて安否を問いに行かせた(17~18節)。エラの谷ではゴリアテが四十日間も朝晩出て来て決着しないので、兵は鬨の声あげて前戦に出るところだった。ダビデは兄たちに会って安否を問い、話している時に、ゴリアトがペリシテ軍の戦列から現れて、いつもの言葉を叫んだ(19~23節)。これを聞いたダビデは彼を打ち倒せば何をしてもらえるのかと兵士に訊ねた。そこでもし倒すことが出来たなら、王から大金を賜り、更に王女をくださり、父の家にはイスラエルにおいて特典を与えられると答えた。長兄エリアブはこの会話を聞いて立腹し厳しく批判した(24~29節)。この後ダビデは王に召し出され、ゴリアトと対戦することになる(30~35節)。
  36節「わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから」。王は彼に鎧と兜を貸し与えようとしたが、慣れない装束で断り、自分の杖を手に川岸の滑らかな石五つと石投げ紐を手にしてゴリアトと対戦した(37~40節)。これを見たゴリアトは彼を侮り、お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろうと罵った(41~44節)。 
  45節「…『「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう』」。この対決はあっけなく決着がついた。ダビデの石が彼の額に食い込み、うつ伏せに倒れ、彼の剣でとどめを刺し、首を切り落とした。これを見たペリシテ軍は逃げ出し、これをイスラエルは追跡したのである(46~52節)。
  この物語の中心はダビデの勇敢さより、「剣と槍を必要としない」万軍の主の戦いであり勝利であることを強調しなければならない。ここでは教会学校でなじみの讃美歌21-484番「主われを愛す」がぴったりする。