サムエル記上15章
22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」(新共同訳)
1節「サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい」。本章は主の言葉を聞くことが如何に重要であるかを試される処である。サムエルから告げられたのは、アマレクに対してこれを滅びし尽すことであった(2節)。アマレクは砂漠の遊牧民であったが、その攻撃の理由が出エジプト時代にまで遡るのは、如何にイスラエルにとって宿敵であったかを表す(出エジプト17章8~16節)。男女子供、家畜すべてを打ち殺し容赦してはならないとは「聖絶規定」で、これまで何回も出てきた(民数記21章2~3節、ヨシュア記11章6~20節)。これは神の唯一絶対性を示すことで、社会倫理的に容認されるメッセージではない。ここではサウルにサムエルを通して、神の御声に聞き従うか否かの二度目(13章8~14節)の試練となった。
4節「サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった」。サウルはアマレク人と共にいたカイン人に、かつて親切を示してくれたので、避難するようにと伝え、彼らは立ち退いた(5節)。サウルはアマレクの王アガグを生け捕りにし、民を剣で殺したが、家畜は上等なものは惜しんで滅ぼし尽さなかった(7~9節)。
11節「『わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない』。サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ」。主に背を向けて陥ったサウルの罪過のゆえに、主に向かってサムエルは悲嘆と苦悩の中で、夜通し叫んだのである。この時サウルはカルメルに戦勝碑を建てギルガルで祭壇を築いて献げ物をしようとした。サムエルはサウルの言動を問い糺す。サウルは自分の過ちに気付くが、その責任を兵士に転嫁し、また勝利品の中から最上の供え物を献げようとしたと弁明する(12~19節)。彼は「わたしは主の御声に聞き従いました」(20節)と言うが、それは自己弁護する詭弁であり、不徹底な信心を暴露する。
22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」。そして、主の言葉を退けたあなたは王位から退けられると告げた(23節)。サウルは兵士をおそれ、彼らの声に聞き従い、主の言葉に背いたと告白し、一緒に帰って下さい、主を礼拝しますと言ったが、サムエルは身を翻して去ろうとした。その時彼の上着の裾をつかんだら上着が裂けた(24~27節)
28節「サムエルは彼に言い渡した。『今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる』」。サムエルとサウルの断絶を象徴しているかのようである。しかしサムエルは、サウルがイスラエルと長老達の手前一緒に帰ってくださいという願いを聞いている(29~31節)。この後、アマレクの王アガグはサムエルの手で殺された。またサムエルはサウルと再び会うことなく、彼のために歎いた(32~35節)。
「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえでなく、主の御声に聞き従うことである」ということは信仰の基本であり、イザヤ1章11~17、ホセア6章6、アモス5章21~24節、詩51篇19、そしてローマ12章1節にもある。
22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」(新共同訳)
1節「サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい」。本章は主の言葉を聞くことが如何に重要であるかを試される処である。サムエルから告げられたのは、アマレクに対してこれを滅びし尽すことであった(2節)。アマレクは砂漠の遊牧民であったが、その攻撃の理由が出エジプト時代にまで遡るのは、如何にイスラエルにとって宿敵であったかを表す(出エジプト17章8~16節)。男女子供、家畜すべてを打ち殺し容赦してはならないとは「聖絶規定」で、これまで何回も出てきた(民数記21章2~3節、ヨシュア記11章6~20節)。これは神の唯一絶対性を示すことで、社会倫理的に容認されるメッセージではない。ここではサウルにサムエルを通して、神の御声に聞き従うか否かの二度目(13章8~14節)の試練となった。
4節「サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった」。サウルはアマレク人と共にいたカイン人に、かつて親切を示してくれたので、避難するようにと伝え、彼らは立ち退いた(5節)。サウルはアマレクの王アガグを生け捕りにし、民を剣で殺したが、家畜は上等なものは惜しんで滅ぼし尽さなかった(7~9節)。
11節「『わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない』。サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ」。主に背を向けて陥ったサウルの罪過のゆえに、主に向かってサムエルは悲嘆と苦悩の中で、夜通し叫んだのである。この時サウルはカルメルに戦勝碑を建てギルガルで祭壇を築いて献げ物をしようとした。サムエルはサウルの言動を問い糺す。サウルは自分の過ちに気付くが、その責任を兵士に転嫁し、また勝利品の中から最上の供え物を献げようとしたと弁明する(12~19節)。彼は「わたしは主の御声に聞き従いました」(20節)と言うが、それは自己弁護する詭弁であり、不徹底な信心を暴露する。
22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」。そして、主の言葉を退けたあなたは王位から退けられると告げた(23節)。サウルは兵士をおそれ、彼らの声に聞き従い、主の言葉に背いたと告白し、一緒に帰って下さい、主を礼拝しますと言ったが、サムエルは身を翻して去ろうとした。その時彼の上着の裾をつかんだら上着が裂けた(24~27節)
28節「サムエルは彼に言い渡した。『今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる』」。サムエルとサウルの断絶を象徴しているかのようである。しかしサムエルは、サウルがイスラエルと長老達の手前一緒に帰ってくださいという願いを聞いている(29~31節)。この後、アマレクの王アガグはサムエルの手で殺された。またサムエルはサウルと再び会うことなく、彼のために歎いた(32~35節)。
「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえでなく、主の御声に聞き従うことである」ということは信仰の基本であり、イザヤ1章11~17、ホセア6章6、アモス5章21~24節、詩51篇19、そしてローマ12章1節にもある。