サムエル記上14章
37節「サウルは神に託宣を求めた。『ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか。』しかし、この日、神はサウルに答えられなかった」(新共同訳)
1節「ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。『さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう』ヨナタンはこのことを父に話していなかった」。小見出しに「ヨナタンの英雄的行動」とある。彼の活躍振りが語られているが、同時に王サウルの無能も出ている。彼の許には六百人の兵士がいたが、武器を持つ従卒と二人で、切り立った岩の一方ボツェツ、他方センネと呼ばれる処に行った(2~4節)。そこではペリシテ軍の先陣が渡ろうとして構えていたのである。
6節「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。従卒はあなたと一心同体だから行きましょうと言った。そこでヨナタンは、ペリシテ軍に姿を見せた時、彼らが「そこに行くからじっとしていろ」と言ったら、切り立った崖を登って行くことは止めるが「登って来い」と言ったら、主が彼らを我々の手に渡して下さると従卒に伝えた(7~10節)。先陣の兵士らが「登って来い」といったので、両手両足でヨナタンはよじ登り、彼らは倒れ従卒が止めを刺した。その数は二十名程だった。恐怖が陣営全体に広がり、地は揺れ動いた(11~15節)。サウルの見張りはペリシテ軍が右往左往しているのに気づきサウルに知らせると、誰が出て行ったかを調べさせた。点呼の結果ヨナタンと従卒だと判った(16~18節)。敵陣は同志討ちをし、益々混乱に陥り、そこにイスラエル軍は奇襲攻撃をしたので、彼らはベト・アベンへと敗走した。主はイスラエルを救われた(19~23節)
24節「この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが、『日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ』と言って、兵に誓わせていたので、だれも食べ物を口にすることができなかった。」。民に勝利するまで断食の誓をさせたことは、サウルの王として判断を誤らせた無能振りを示す事柄だった。ヨナタンはこれを知らないで杖の先端で蜂の巣の蜜に浸して手につけ口に入れた時、彼の目が輝いた。兵士たちも戦利品に飛びかかり、羊も牛もし、血を含んだまま食べた(27~32節)。この時サウルは兵士らに牛を引いて来て、主の祭壇を築いて血を含まないで酬恩祭の犠牲を献げさせている(33~35節)。神の託宣を求めたが神は応えられなかったので、原因は何かをくじ引きで調べさせたところ、ヨナタンに当たった。それはヨナタンが杖の先で蜂蜜をつけ口で舐めた行動(17節)が、24節にある誓いを破ることだったと判明した(36~43節)。ヨナタンは自分が死なねばならないと告げると、民はこの大勝利は神が共に居られたからで、とんでもないと告げ、死を免れた(44~46節)。ここでも籤引きで原因を調べるという安直な方法が間違いであったという、王の判断が試された事柄であった。この後サウルは王権を振るって周辺の王たちと戦いをおさめた(47~48節)。
49~51節はサウル王一族の紹介で、18章、31章、サムエル記下2章等に出てくる。
ここはヨナタンの活躍と対比してサウルの王としての資質が試された物語である。誰でも、主が共にいることを知る賢明さが求められる(45節)。
37節「サウルは神に託宣を求めた。『ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか。』しかし、この日、神はサウルに答えられなかった」(新共同訳)
1節「ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。『さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう』ヨナタンはこのことを父に話していなかった」。小見出しに「ヨナタンの英雄的行動」とある。彼の活躍振りが語られているが、同時に王サウルの無能も出ている。彼の許には六百人の兵士がいたが、武器を持つ従卒と二人で、切り立った岩の一方ボツェツ、他方センネと呼ばれる処に行った(2~4節)。そこではペリシテ軍の先陣が渡ろうとして構えていたのである。
6節「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。従卒はあなたと一心同体だから行きましょうと言った。そこでヨナタンは、ペリシテ軍に姿を見せた時、彼らが「そこに行くからじっとしていろ」と言ったら、切り立った崖を登って行くことは止めるが「登って来い」と言ったら、主が彼らを我々の手に渡して下さると従卒に伝えた(7~10節)。先陣の兵士らが「登って来い」といったので、両手両足でヨナタンはよじ登り、彼らは倒れ従卒が止めを刺した。その数は二十名程だった。恐怖が陣営全体に広がり、地は揺れ動いた(11~15節)。サウルの見張りはペリシテ軍が右往左往しているのに気づきサウルに知らせると、誰が出て行ったかを調べさせた。点呼の結果ヨナタンと従卒だと判った(16~18節)。敵陣は同志討ちをし、益々混乱に陥り、そこにイスラエル軍は奇襲攻撃をしたので、彼らはベト・アベンへと敗走した。主はイスラエルを救われた(19~23節)
24節「この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが、『日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ』と言って、兵に誓わせていたので、だれも食べ物を口にすることができなかった。」。民に勝利するまで断食の誓をさせたことは、サウルの王として判断を誤らせた無能振りを示す事柄だった。ヨナタンはこれを知らないで杖の先端で蜂の巣の蜜に浸して手につけ口に入れた時、彼の目が輝いた。兵士たちも戦利品に飛びかかり、羊も牛もし、血を含んだまま食べた(27~32節)。この時サウルは兵士らに牛を引いて来て、主の祭壇を築いて血を含まないで酬恩祭の犠牲を献げさせている(33~35節)。神の託宣を求めたが神は応えられなかったので、原因は何かをくじ引きで調べさせたところ、ヨナタンに当たった。それはヨナタンが杖の先で蜂蜜をつけ口で舐めた行動(17節)が、24節にある誓いを破ることだったと判明した(36~43節)。ヨナタンは自分が死なねばならないと告げると、民はこの大勝利は神が共に居られたからで、とんでもないと告げ、死を免れた(44~46節)。ここでも籤引きで原因を調べるという安直な方法が間違いであったという、王の判断が試された事柄であった。この後サウルは王権を振るって周辺の王たちと戦いをおさめた(47~48節)。
49~51節はサウル王一族の紹介で、18章、31章、サムエル記下2章等に出てくる。
ここはヨナタンの活躍と対比してサウルの王としての資質が試された物語である。誰でも、主が共にいることを知る賢明さが求められる(45節)。