日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

死とわたしとの間はただの一歩

2012-01-28 | Weblog
   サムエル記上20章 

  3節「それでもダビデは誓って言った。「…主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です」(新共同訳)

  1節「ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか」。本章ではサウルの殺意とヨナタンの友情が反比例して描かれる。ダビデは妻ミカルのいる家に帰るが、ヨナタンに会って王の殺意の真相を確かめようとした(2節)。それは王位継承と二人の関係に対する誤解から来るのではないかということであった(3節)。この時「死とわたしとの間はただの一歩です」と言った。これは徹底した自己否定を表す。すべての判断や行動は生ける主とあなたの間に委ねるということである。ダビデはヨナタンに新月祭で会食する時、不在を質して殺意の有無を知るという方法を提案した(4~8節)。それは三日目の夕方まで野原に隠れていて、不在の理由を告げた時承諾したら無事だが、ひどく立腹したら危害を加える決心をしているということになる。もしそうなら、だれがそれを知らせるかである。そこで矢の伝達方法を考えた。ダビデが潜んでいる野原のエゼルの石の傍らに矢を確認の為三本放つ。『矢を見つけて来い』と言って従者をやるが、次に『矢はお前の手前にある、持って来い』と言ったら無事である。しかし『矢はあなたのもっと先だ』と言ったら逃げなければならない(20~24節)。
   24節「ダビデは野に身を隠した。新月祭が来た。王は食卓に臨み~」。その日ダビデの席は空席だったが、サウルは何も言わなかった(25~26節)。二日目サウルは空席に気が付き、二日も来ないのは何故かとヨナタンに問い質した。町で犠牲を献げる為と応えるとサウロは激怒し、ヨナタンが王権も確かでないのにダビデを贔屓(ひいき)にして自分を辱めているといったので彼は食事をしないで席を立った(27~34節)。
  35節「翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出た」。予め取り決めていたダビデが潜んでいる場所に行って従者に「矢を見つけて来い」と言った。彼を越えるようにヨナタンは矢を射た。そして「矢はお前のもっと先だ」と呼ばわり、早くしろ、急げ、立ち留まるなと声をかけた(36~38節)。何も知らなかった従者にヨナタンは武器を渡して先に帰らせた。草むらから出て来たダビデは三度伏して礼拝し、互いに口づけし、共に泣いた(41節)
  42節「ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから」。あなたとわたしの間に主が永遠におられると言った。これは23節にもある。これと完全に対比するのが「死とわたしの間の一歩」(3節)である。申命記33章27節(口語訳)「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある」の通りである。

  生命の安全が保障されている現代社会でも、突然の死が襲う。事故や自然災害、犯罪に巻き込まれて襲われる死。不幸な魔手を断ち切るすべは無いのか。命の根底を支えられるお方として、イエスを信じ受け入れることができるなら、何と幸いであろう(ヨハネ福音書11章25節)。