日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

口を大きく開き御救いを喜び祝う

2012-01-07 | Weblog
  サムエル記上2章 

  1節「…「主にあってわたしの心は喜び、主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き御救いを喜び祝う」(新共同訳)。

  1~10節」ハンナの祈り
  1節「ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う」。神への讃歌であるが、「マリア讃歌」(ルカ福音書1章47~55節)はこれを下敷きにしたと言われる。マリア讃歌と同じ神の救いを喜び祝うことから始まる(ルカ福音書1章47節)。
  3節「驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか」。傲慢を戒め、すべてを見通される神の前に謙虚になること。これはルカ福音書1章50~51節「主はその腕を振るい、思い上がる者を打ち散らし~」に通じている。
  5節「食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない」。ルカ福音書1章53節「飢えた人を良い物で満たし~」である。貧しい者を塵の中から立ち上がらせ、芥の中から高くあげ、主に逆らう者を闇の沈黙に落とされるという逆転が起きる(8~9節)。ルカ福音書1章52節に示されている。これはサムエル記に伺える主題となる事柄である(サウルとヨナタンの生涯、エッサイの息子の中から選ばれたダビデ)。
  10節「主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる」。メシアの到来が予告される箇所である。
 12~36節 祭司エリに仕えるサムエル
  12節「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった~」。サムエルは祭司職の幼少教育を受けることになるが、その環境は甚だしく悪い。祭司の下働きは規定を破る違反行為をする。彼らは釜や鍋であれ、鉢や皿であれ、そこに肉刺しを突き入れた。そして突き上げたものをすべて、祭司のものとした(13~14節)。また祭司が献げる肉の脂肪を取る前に、生肉を要求した(15~16節)。更にエリの二人の息子は臨在の幕屋に仕える女たちと度々性的な関係を持った。彼らの不品行の噂をエリは耳にした。最早祭司の働きは失われていた(22~25節)。
  25節「一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった」。俗悪な環境にあっても、それに染まることなくサムエルが成長したことを明らかにしている。神の守りがあったからだ。
  27~36節 エリと息子たちに対する審判の預言
  27節「神の人がエリのもとに来て告げた。『主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し~』」。先ずエリの祭司職への選びが回顧される。この特権と選びにも関わらずその聖なる職務を放棄している(28~30節)。そこで神は祭司の家系すべての腕を切り落とす日が来る(短命で終わる)。二人の息子ホフニとピネハスは同じ日に死ぬ(33~34節)。
  35節「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む」。これはやがて登場するサムエルの予告である。エリ一族は物乞いをする(36節)。これはヨシア王宗教改革に直面した出来事と考えられる(列王記下23章8~9節see)。
  環境に支配されない人間形成は容易ではない(ローマの信徒の手紙12章2節)。