植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

今年も七夕祭りが始まりました 織女(しょくじょ)牽牛(けんぎゅう)は疲弊してるよ

2019年07月06日 | 植物
相変わらず、すっきりしないというか愚図ついた天気であります。

ふと気が付くと、もう今年も半分を過ぎているのです。あー歳月の移ろいのなんと早いことか。
昔読んだ、筒井康隆の短編小説に(題は忘れた)周りのスピードがどんどん速くなって
最後には、大きな滝のようなところから「時」が流れ落ちるというお話でした。
これは、恐らく老いにより時間の感じ方が加速する、という寓話でなかったか、と思います。

昨日から、当地では年に一度の七夕祭りが始まりました。
当地平塚と、仙台の七夕祭りは全国的にも認知されているので、明日まで三日間は、県内外から訪れる観光客で賑わいますね。

とはいえ、この七夕祭りも往時の盛況と比べるとひどく寂れてまいりました。
30年前の平塚では南口も北口も人でごった返して、歩くのもやっとという状況で、勤め人のワタシは
この時ばかりは憂鬱になりました。お飾りも商店街の端までずらりと風に揺れ壮大とさえ言えるような景色でした。
各地から観光バスが押し寄せ、家族連れや若者でごった返したものです。

ところが、今や七夕飾りは昔の半分以下に減り、南口ではほとんど飾る店が無くなりました。
というより南口の商店街そのものが消滅し、数件の飲食店や美容院を残して、民家とマンションとパーキングに変わってしまいました。

この七夕祭りの衰退は、平塚市全体の沈下、人口減少・商店街のシャッター通り化・高齢化など日本が抱える現代の病巣そのもの
ではあります。しかし、よーく観察するとそうとばかり言えない理由があるのです。
元凶は市役所です。断言します。平塚市では全国でも有数の高給職員が働いております。どでかい市庁舎を新築しました。
元々工業団地に数々の工場が集中して法人税が潤沢に入る富裕市、競輪と七夕という知名度や集客力を過信して
無策のまま放置したのです。十年以上前には人口減少に転じることがあきらかになったのにも関わらず、「平塚で残したいもの」を
列挙しようという市民会議まで催しました。本来、「無くすべきもの」「改めるべき事柄」を掘り起こして、変革や改善につながるべきなのですが。

お役所のやったことと言えば、障がい者の歩行支援で、自転車の駐輪を徹底的に取り締まり、商店の目抜き通りの片側1車線をつぶして
コインパーキングにしたり、商店街に地元の人たちが近寄りにくくしたのですね。そして競輪場のメインスタンドの建て替え200億円!!

まだわからないの? 博打場が、どれだけ善良な人々を遠ざけ本市の評判を落としているのかを

全国的には競輪場は閉場の動きが止まりません。神奈川県でも「花月園」「小田原」がやめました。なんでか、風紀が悪くなり
収入が減っているからです。川崎・船橋・小倉・府中他公営ギャンブル場がある町にわざわざ住もうとは思わんでしょう。

そして七夕祭り。市役所はびた一文補助をせず数百万円の飾り製作費は商店持ち、詰めかけた観光客のお金はあらかたは
全国から集まった「テキヤさん」たちの露店に落ちました。これでは廃れるわけです。

織女(しょくじょ)牽牛(けんぎゅう)の話は、元々働き者の二人を結婚させておきながら、天の川を見上げて
甘い新婚生活に浸る夫婦に、天帝が、けしからん、年に一回デート以外は会うことも禁止じゃ、それ以外は働けーと引き離したのが
伝説のあらまし。どこかの国の年金やら生活になんか似ておりますね。楽しんでいる暇があったらとっとと仕事しろ、
結婚や夫婦生活なんかは100年早いわ みたいな


気難しい「コンロンカ」が花盛りです






コメント
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