知里幸恵は明治36年北海道登別で生まれた。
家はアイヌ酋長の家系で、6歳で母の姉にあたる旭川の金成マツの養女になった。
祖母も伯母も英雄叙事詩(ユーカラ)の名手で幸恵もユーカラを聞きながら育った。
15歳のころ、言語学者の金田一京助が訪ねてきた、
「ユーカラは叙事詩という口伝えの大変に優れた文学なんだ。世界でもユーカラをおいてほかにない」
ここから金田一と幸恵の共同研究がスタートするのだ。
大正11年、金田一の家に寄宿して書いた原稿が完成するが、幸恵は心臓発作を起こし19歳の生涯を閉じた。
翌年、「アイヌ神謡集」として出版される。
序文の少女の想いが心を打つ。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に自然の寵児、なんという幸福なひとたちであったでしょう。
よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくものーーそれは今の私たちの名(先祖から伝えられた言葉や言い伝えまでまでが消えてしまうのなら)おおそれはあまりにもいたましい名残惜しい事で御座います」
(雑誌選択 をんな千一夜 知里幸恵アイヌ神謡を守った乙女 石井妙子) を参考にしました。
自民党衆院議員の杉田水脈氏は、日本国の恥さらしと題して次のように語る。
「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場、完全に品格に問題があります」
この発言は札幌法務局により「人権侵犯」の事実があったと認定された。
こんな発言しかできない杉田議員の人権思想や歴史観の欠如、そしてそれをいまだに容認している自民党。
何ともやり切れない思いだ。
小学生のころに、音楽の時間に習ったアイヌの歌を思い出した。
ピリカ ピリカ タンドシリピリカ イナンクルピリカ
ヌンケクスネ ヌンケクスネ
(ピリカーー好い、美しい)
今日はいい天気だよ どのこがきれいか えらんであげるよ