《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

二重の意味において「シュウマイ」に非ず

2008年04月24日 22時54分31秒 | Weblog
リハビリの通院や自主トレの散歩だけが外界との接触なので、外から受ける刺激というものが本当に少ない。何せ、他者との会話・接触がほとんどない。顔を合わせるのは家族、病院関係者、以上。て感じの毎日。

入院中は、あかの他人たる他の患者さんとの関わりがかなり大きなストレスだったが、ストレスを与えてくる他者を、何とかはねのけようともがくことが、苦痛であると同時に、ストレス発散にもなっていたんだな。
いまは、他人と関わらなくていいというのがストレスになっている。これは苦痛がない代わりに発散の方法もないような気がする。
でも、と~~きたま他人が姿を現すから、またそれはそれでものすごくストレスになる。
商売柄、嫌人癖なんか身につけちゃまずいと思っちゃうと、またそれがストレス。

めまぐるしい日常というものも精神に有害ではあるが、
あまりにも刺激がない生活というものも、じわじわと精神を蝕んでくるなあ。

要するに記事になるネタがないということよ。
何とかして外界からの“適度の”刺激を求めねば。


そこで、『失われた時間を求めて』観劇の予行演習として、
5月3日神宮球場で行われる六大学野球の

早稲田対立教戦

を観に行くことに決めた。
ここを、体調を崩したり、疲労の色を見せたり、転倒しりせずに乗り切って、家族からの信頼を深めないと、ベニサン・ビット行きの許可が下りない。

病後最大の正念場だ。
奧菜恵さんの復帰作が観られるかどうかがかかっている。



ところで、上掲の画像を見て私ったら、一瞬だけ、
「あ、おいしそうなシュウマイ!」
と思ってしまった。
この餡子玉はどちらで売られているものなんでしょう?

という意味合いも含めて、今日の1曲は
『シウマイ旅情』をお送りしましょう。

旅の 窓辺の 思い出は
二人で 開いた シウマイの
ひとつ ひとつの 物語
あの シウマイは 崎陽軒
あの時の 二人
今の 二人
おいしい シウマイ 崎陽軒

きみが 歌った 旅の歌
ことばを うつした シウマイの
赤い きれいな つつみ紙
あの シウマイは 崎陽軒
あの時の 歌を
今も 歌う
おいしい シウマイ 崎陽軒


「シウマイ」は誤字じゃありませんから。
1番、2番の順番は逆かもしれませんが……