昭和の日は『失われた時間を求めて』過ごしました。
私は同町内で2回引っ越しをした経験を持っております。
今住んでいるのは3つめの居住地ということです。
今日の自主リハビリ散歩は昭和期を過ごした地域に足を向けました。
同町内とはいえ、今の生活圏とは中途半端に距離を隔てているので、
あの辺を歩いたのは4、5年ぶりでしょうか。
例大祭や初詣によく行った村社を目指したんですが、
その途中、中学校時代に好きになっちゃった(完全片思い)
女の子の家の前を通りました。
4、5年前には、もう、その女の子はとうに嫁いでいたものの、
実家が残っていて、ご両親が住んでいらっしゃったのですが、
今日見たところ、全く違う名前の表札になっていました。
家屋は元のままでしたが。
(時間系列に正しくは奥菜さんの方が似た、と言うべきなんですが)
その子は、目が大きいところが奧菜恵さんに似ていたんだなぁ。
目が大きいところだけでしたが。
渾名は目ダヌキ。
もっともこれは「岡ひろみ(エースをねらえ!)」の方からついたんですが。
目が似ていると、全体も似ていたような“麗しい錯覚”
が生まれてしまいますよね。
今、中学の時の仲間にそんなことを言っても、
「そんな美人がうちの中学にいたかよ?」
でおしまいでしょうが。
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
袖の香なんぞかいだことはないですから、誤解無きよう願いたいんですが、
それから季節感的には旧暦5月でないと合わない和歌ですが、
「昔の人」は今どうしているのか、村社拝殿に頭を垂れながら、
ずっと幻影を追い続けていました。
本日の画像はその幻影の1例です。
それでは昭和の日にお送りする曲には
『蛍の光』フル・コーラス
ってのはどうでしょう。
蛍の光 窓の雪
ふみ読むつき日 重ねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞ今朝は 別れゆく
とまるもゆくも かぎりとて
かたみにおもふ ちよろずの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたふなり
筑紫のきわみ 陸(みちの)奥
海山遠く 隔つとも
そのまごころは 隔てなく
ひとつにつくせ くにのため
千島の奥も 沖縄も
八島の内の 守りなり
至らんくにに いさをしく
つとめよわが夫(せ) つつがなく
私は同町内で2回引っ越しをした経験を持っております。
今住んでいるのは3つめの居住地ということです。
今日の自主リハビリ散歩は昭和期を過ごした地域に足を向けました。
同町内とはいえ、今の生活圏とは中途半端に距離を隔てているので、
あの辺を歩いたのは4、5年ぶりでしょうか。
例大祭や初詣によく行った村社を目指したんですが、
その途中、中学校時代に好きになっちゃった(完全片思い)
女の子の家の前を通りました。
4、5年前には、もう、その女の子はとうに嫁いでいたものの、
実家が残っていて、ご両親が住んでいらっしゃったのですが、
今日見たところ、全く違う名前の表札になっていました。
家屋は元のままでしたが。
(時間系列に正しくは奥菜さんの方が似た、と言うべきなんですが)
その子は、目が大きいところが奧菜恵さんに似ていたんだなぁ。
目が大きいところだけでしたが。
渾名は目ダヌキ。
もっともこれは「岡ひろみ(エースをねらえ!)」の方からついたんですが。
目が似ていると、全体も似ていたような“麗しい錯覚”
が生まれてしまいますよね。
今、中学の時の仲間にそんなことを言っても、
「そんな美人がうちの中学にいたかよ?」
でおしまいでしょうが。
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
袖の香なんぞかいだことはないですから、誤解無きよう願いたいんですが、
それから季節感的には旧暦5月でないと合わない和歌ですが、
「昔の人」は今どうしているのか、村社拝殿に頭を垂れながら、
ずっと幻影を追い続けていました。
本日の画像はその幻影の1例です。
それでは昭和の日にお送りする曲には
『蛍の光』フル・コーラス
ってのはどうでしょう。
蛍の光 窓の雪
ふみ読むつき日 重ねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞ今朝は 別れゆく
とまるもゆくも かぎりとて
かたみにおもふ ちよろずの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたふなり
筑紫のきわみ 陸(みちの)奥
海山遠く 隔つとも
そのまごころは 隔てなく
ひとつにつくせ くにのため
千島の奥も 沖縄も
八島の内の 守りなり
至らんくにに いさをしく
つとめよわが夫(せ) つつがなく