今日は2つの入り口を見出せたのかな、そんな満足感を抱いて帰ってきました。
奧菜恵さん出演作『失われた時間を求めて』やっと観に行けたのです。
ひとつ目の入り口は、
〔西光寺を過ぎてすぐの十字路〕
あれを左折するんです。
劇場公式ページの地図の方が正しい。ヤフーの地図は正確ではない。
昼間ならベニサン・ビットの入り口が見えますね。
分かり難い言うてるのは森下駅からの方々でしょう。
運動だと思って、両国から行くことをおすすめします。
余計なお世話ですか?
《以下、ネタバレと読めなくもない感想を含んでいます》
ふたつ目の入り口は、単に見つけた気になっているだけかもしれません。
島田紳助氏がある日の「お宝探偵団」で、
「本物の風景画には入り口がある。偽物には入り口がない。」
と言ってたことを記憶しています。
本物には「ああ、ここから入っていけばいいんだな」というポイントが存在するが、
偽物にはそういうポイントが存在せず、いくら観ていてもずっと絵の外に立たされ続けることになる、ということらしいです。
今日、初めて『失われた時間を求めて』を観て、そういう入り口がある作品だなぁ、本物だよこれは、と思ったんですね。本当に生意気ですが。
入り口はひとつじゃないかもしれず、ひとつかもしれず、その結論がないままに、
私にとっての入り口は何であったかという結論を急いでしまいますと、
本書き、つまり戯曲作家の感覚になってしまうことでした。
最初からいくつかの台詞に「面白い表現選択をしているなあ」と感じたのが幸いしました。
「こんな本、自分には絶対書けないよな」
と思った瞬間、入り口が開いたような感覚を覚えたのです。
「自分ならどういう台詞を入れてしまうだろう」
と考えるようになっていました。
もちろん思い浮かぶのは、ぶちこわしとなる台詞がほとんど。
でも、少しは
「あ、そー来ましたかー」
「その台詞、やっぱりなぁ」
となる瞬間もあり、その頃には、観ているという感覚は薄れ、
台詞こそ無けれ、5人目として舞台に上がっているような錯覚にとらわれていました。
そういう感覚で存在していると、台詞は確かに難解ですが、「え~っ、何でそうかなぁ」と思わせる台詞はないように思えたのです。(汗だくで「寒い」だって有り?やっぱ全然有り!)
そこへ伊達さんと奥菜さんのものの見事な掛け合い、舞台の奥行きを上手に使った心憎い演出が折り重なってきたのですから、もうたまりません。
↑あまりに見事な掛け合いすぎて、実はせっかくの不条理に条理をつけてしまったのではないか、なんて印象もあるにはあるのですが。
あの場面を削ったらどうなるんでしょうかねぇ。時間の話とか……、あと中山さんとの『動物園物語』とか 削っちゃう……
ほんとうにゾクゾクする想像だ!
なぁ~にも分かんなくなっちゃうぞ!
空調は落ち葉の関係で切られていますが、快・不快は座った席によりけりでしょうか。今年から急に寒がりになってしまって私には、全くと言っていいほど気になりませんでした。
奧菜恵さん出演作『失われた時間を求めて』やっと観に行けたのです。
ひとつ目の入り口は、
〔西光寺を過ぎてすぐの十字路〕
あれを左折するんです。
劇場公式ページの地図の方が正しい。ヤフーの地図は正確ではない。
昼間ならベニサン・ビットの入り口が見えますね。
分かり難い言うてるのは森下駅からの方々でしょう。
運動だと思って、両国から行くことをおすすめします。
余計なお世話ですか?
《以下、ネタバレと読めなくもない感想を含んでいます》
ふたつ目の入り口は、単に見つけた気になっているだけかもしれません。
島田紳助氏がある日の「お宝探偵団」で、
「本物の風景画には入り口がある。偽物には入り口がない。」
と言ってたことを記憶しています。
本物には「ああ、ここから入っていけばいいんだな」というポイントが存在するが、
偽物にはそういうポイントが存在せず、いくら観ていてもずっと絵の外に立たされ続けることになる、ということらしいです。
今日、初めて『失われた時間を求めて』を観て、そういう入り口がある作品だなぁ、本物だよこれは、と思ったんですね。本当に生意気ですが。
入り口はひとつじゃないかもしれず、ひとつかもしれず、その結論がないままに、
私にとっての入り口は何であったかという結論を急いでしまいますと、
本書き、つまり戯曲作家の感覚になってしまうことでした。
最初からいくつかの台詞に「面白い表現選択をしているなあ」と感じたのが幸いしました。
「こんな本、自分には絶対書けないよな」
と思った瞬間、入り口が開いたような感覚を覚えたのです。
「自分ならどういう台詞を入れてしまうだろう」
と考えるようになっていました。
もちろん思い浮かぶのは、ぶちこわしとなる台詞がほとんど。
でも、少しは
「あ、そー来ましたかー」
「その台詞、やっぱりなぁ」
となる瞬間もあり、その頃には、観ているという感覚は薄れ、
台詞こそ無けれ、5人目として舞台に上がっているような錯覚にとらわれていました。
そういう感覚で存在していると、台詞は確かに難解ですが、「え~っ、何でそうかなぁ」と思わせる台詞はないように思えたのです。(汗だくで「寒い」だって有り?やっぱ全然有り!)
そこへ伊達さんと奥菜さんのものの見事な掛け合い、舞台の奥行きを上手に使った心憎い演出が折り重なってきたのですから、もうたまりません。
↑あまりに見事な掛け合いすぎて、実はせっかくの不条理に条理をつけてしまったのではないか、なんて印象もあるにはあるのですが。
あの場面を削ったらどうなるんでしょうかねぇ。時間の話とか……、あと中山さんとの『動物園物語』とか 削っちゃう……
ほんとうにゾクゾクする想像だ!
なぁ~にも分かんなくなっちゃうぞ!
空調は落ち葉の関係で切られていますが、快・不快は座った席によりけりでしょうか。今年から急に寒がりになってしまって私には、全くと言っていいほど気になりませんでした。