《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

野分に吹きちぎられる、知られずともよく、また何も知らずして散る一片の木の葉のように

2008年05月26日 21時16分41秒 | Weblog
『失われた時間を求めて』の感想、ネタバレ有り。


初めて観たときには、最後の伊達さんのセリフ

「ありがとう」

に、私の意識はまったく向かなかった。

むしろ、「あ~あ、きれいな纏め方しちゃって、もったいない」
などという見当違いも甚だしい感想を持ってしまっていた。

二度目の観劇で、自分の浅はかさに気づき、腹が立ちました。
あれは素晴らしいセリフだ!

一見、長塚さんや中山さんを
振り回し、混乱させ続けているようにしか見えなかった奧菜恵さん演じるところの女が、振り回して混乱させたその極みにおいて二人を「ここ」に導き、
「ここ」で四人全員が出会えるようにお膳立てを成し遂げたのだから、
あの「ありがとう」には、それはそれは重みがこもっているのだ。

そんな「ありがとう」を変に力まず、
そう、舞い散る落ち葉のようにふわっと、
あの劇空間の持ち込んだ伊達さんの演技はとても味わい深い。

私はもっと演者との対話をしよう。
そうしなければならないんだ。
(言うまでもないことですが、心の中で、です。)
時には奧菜恵さんに言い返し、
時には長塚さんにものを尋ね、
時には中山さんに絡もう。

イチローにとって一番悔しいことは、
打者イチローに投げられないということなんだそうだ。
ならば、奥菜さんにとって一番悔しいことは、
演者:奥菜恵に絡めないことなのかもしれない。
絡むことが出来る私たちは、なんと幸せなことか。
だから絡まないのはもったいない。

「あの~、伊達さんとは絡まないんですか?」
「それは荷が重いから……奥菜さんに丸投げ!」

恵さんへ。
早いもので明日は千秋楽ですね。
最後まで、演じること、舞台の上を占めていることの快感をお楽しみください。