ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

自然っていったい・・・

2008年05月10日 23時18分26秒 | 田舎暮らし
自然農薬、自然養鶏、自然農法・・・

自然っていったい何なのだろう?
それは所詮、里山の自然。
人間の手の入った、人間に都合よくできた自然のことではないのか?

自然なら安全だなんてとんでもない。
自然は人間のためにあるのではない。
自然が安全だというのなら、トリカブトを食べてみたらいい。ドクウツギを食べてみたらいい。
するとたちまち死んでしまうだろう。

自然農薬なら安全?
とんでもない。
安全だというなら木酢液をそのまま飲んでみたらいい。たちまち体を壊すだろう。
それに酢や木酢液が自然にそうそうあるものではない。
人が作り出すものだ。
それに普通の農薬は使用基準が決まっている。
でも自然農薬は使い放題・・・これってきわめて危険じゃない?
木酢液なんかあまりに製品のばらつきがあるため農水省もお手上げ。
自己責任で勝手に使え、といっている。
それに自然農薬を使ってて「無農薬」っておかしくない?
はっきり「自然農薬使用」と表示すべきではないだろうか。

自然養鶏っていったいなんだろう?
鶏そのものが人間によって改良されてきた人工的な鳥。
野生の鳥が毎日卵を産むものか。
その鶏を飼うのに、人工的になるのは当たり前のこと。
自然養犬、自然養猫で犬や猫が飼えるだろうか。
それにほとんどの自然養鶏場では、鶏を放し飼いにするのではなく、単に小屋の中で平飼いしてるだけ。
さらに発酵飼料をやったり、冬は夜に蛍光灯で明かりをつけて日照時間を調整している。
このどこが自然?
発酵飼料なんて自然の中ではそうそうあるものじゃないよ。
日照時間を調整するなんて、野菜だとハウス栽培であって自然農法なんてものじゃないよ。

自然農法の自然っていったい何?
野菜そのものが人間によって改良されてきた人工的な植物。
トマトやナスなんか自分の体さえも支えることができなくて支柱などでささえてもらわないといけない。
このどこが自然?
自然農法に無肥料栽培というのがある。
特に鶏糞などの動物性肥料を一切使わないという。
これっておかしくない?
自然の野原には鹿や猪の糞がいっぱい落ちている。
それを排除するということは、自然の状態ではなく人工的な環境を作るということ。
それのどこが自然なのだろう?
また肥料の変わりにそばに大豆などの豆を植えて、大豆の作り出す窒素分を利用するということを書いてる本もある。
これって無肥料とどうしていえる?
無肥料でなく「自然肥料使用」とでも表示すべきではないだろうか?
それに大豆は他の野菜の面倒まで見てくれるお人よしだとでも思っているのだろうか?
そんなことするときっと大豆の成長を阻害するだろう。

自然って何か?
自然農薬、自然養鶏、自然農法・・・なんていう前に自然の定義を考えるべきではないだろうか?
そして「自然」は良くて「人工」のものは悪いという考えを見直すべきではないだろうか?
少なくとも安易に「自然」という言葉を使い消費者を惑わしてほしくない。
コメント (2)
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