鶏小屋というか育雛箱の話。
いつも工作するときは板を買うことはまずなく、
古い板を利用して集めた板で寸法を決めて作る。
大きさは板次第というわけ。
今回はなんとか適当な大きさの板を集めることができた。
そしてノコギリで適当な大きさに切っていき、
クギを打ち付けていく。
ところが適当なクギがなくなったのでホームセンターに買いに行った。
ところが、あれぇ?
クギどこで売ってるの?
ネジのコーナーばかり目立つ。
よく探したらコーナーの隅っこにひっそりおかれてあった。
昔は・・・ほんの数年前は、ネジよりもクギのコーナーのほうが広かったのに・・・
それで初めて気づいた。
最近はみんなクギはほとんど使わないのだね。
電気ドリルやとりわけインパクトドライバーの普及でみんなネジを使うようになったらしい。
昔はネジは面倒なものでドライバーでかなり力がいった。
インパクトドライバーだったら力もいらないし誰でも手軽にできる。
もう大工さんもクギは使わないのだろうか?
しかしそうはいってもこちらはクギ人間。
工作というとやっぱりクギと金づちとノコギリ。
ネジの良さはわかっているけど、面倒な気がついついしてしまう。
普通の手回しドライバーを使う気にはなれないし、
ちょっと工作するのにわざわざ電気ドリルを持ってきて、あるいはインパクトドライバーの充電をして、
ドリルのビットをネジに合わせて選んでセットして・・・
それがとっても面倒。
クギだったら、どんな釘でも金づちさえあったらいい。
クギの欠点はもちろん重々わかっている。
ネジに比べて抜けやすい。
それで昔の大工さんは口にクギをくわえて使っていた。
それは口をポケット代わりにするということよりも、
唾で湿らせて使った。
それはクギを濡らして早く錆びさせるのが目的。
錆びたくぎは抜けにくくなるからだ。
でもネジだったらそんなことしなくてもよい。
それに抜くときもネジのほうが簡単。
ドライバーを逆回転させるだけでいい。
クギだったらくぎ抜きで板と板の間に無理やり差し込んでこじ開けて抜く。
それに釘は長さに比例して太くなっていくけどネジなら長さとは関係なくいろんな太さのものが選べる。
こう考えるとやっぱりクギよりネジ!
ところがこのぐうたら百姓にそんなこと言っても
糠にクギ
やっぱりクギを使ってしまう。
でもそうはいっても実はネジを本当は尊敬している。
クギだったら誰でもわかる、誰でも思いつく。
でもネジ・・・
板と板を張り合わせるのにまっすぐ打つのでなくぐるぐる回す。
ところが不思議なことにネジは回るだけでなく前に進む。
中国人は火薬・羅針盤・紙を発明した。
偉大な発明だけど、でもネジを作ることはできなかった。
この中国の発明に対して西洋はネジを発明した。
これは火薬・羅針盤・紙に匹敵する発明だとひそかに思っている。
そしてこのネジの原理(回すことによって前に進む)からスクリューやプロペラが生まれた。
(順序はあるいは逆かもしれないけど・・・)
いったいどこからこんな発想が生まれたのだろう?
もともと東洋と違って中近東・西洋には螺旋の文化があったのだろう。
バベルの塔、ピサの斜塔のような螺旋の階段の文化が。
螺旋の階段を歩くことによって上に進む。
そこからネジやスクリューやプロペラの発想が生まれたのではないか。
自然界にも螺旋はある。
竜巻で上に吸い上げられ、渦巻きで下に吸い込まれる。
でもそこからスクリューやプロペラやネジを思いつくのは天才的な発想が必要だ。
ともあれネジは偉大な発明だと思う一方でなにかしら普通でないとか危うさとかを感じてしまう。
天にとどこうとしてバベルの塔を作り神の怒りをかって破戒されたように、
ネジの発明によって銃や大砲の性能が飛躍的に上がったように。
クギ人間のこのぐうたら百姓はついつい危うさを思ってしまう。
なんて屁理屈を言いながら実はネジを使わない大きな理由がある。
それは手持ちのインパクトドライバーの調子が悪くてうまく充電できないこと。
電動ドリルの部品をなくして使えないこと。
これじゃいやでもクギ人間にならざるをえないよね。