●誤魔ら~油説
さて、ら~おばさんのら~油がとっても評判になったので、もう百姓なんてやってられるかい!
とばかりら~おばさん、せっせとら~油を作り、売り歩いた。
でもゴマ油、もとは雑草みたいなもの、ただ同然でとれるとはいえ、収穫して絞って油にする手間は大変なもの。
その上、胡椒はそれなりに手間も金もかかる。
せっかく評判になったのにこれじゃ生産が追い付かない。
そこでそれを見ていた息子、百姓は嫌いだけど売るのだったらなんとかなるかなぁ~なんて、
きっとそっちの方が楽だろうなぁ~なんて考えて、
ら~おばさんの胡麻ら~油を自分で売り歩くことにした。
そしてこれがうまくいった。
もともと2代目は商売に向いていたのだろう。
これですっかり商売も順調、やがて行商はやめて店を構え次第に大きくなっていった。
ところが、創業者が苦労して店を起こし、2代目がそれを広げ発展させて、苦労知らずの3代目がそれをつぶしてしまうというのが世の習い。
そうそう、3代目のだいになって、この3代目これがどうしようもないぐうたらな奴で、
何をしなくても売り上げはどんどん伸びている、ところが生産が追い付かない。
なんせもとはちまちまゴマを絞って作った油。これじゃ需要に追い付かない。
そこでもっと油を作らねば、と考えた末に思いついたのは・・・
そうだ!何も胡麻にこだわることはない、油だったらそこら辺にいっぱいいる!ということ。
そして生産を飛躍的に増やすことができた。
ところがそれと同時に集落には奇妙なうわさが・・・
ねぇ、近頃野良犬が減ったと思わない?そういえば野良猫も・・・そういえば人間も(?)・・・
なんか怪しいなぁ~・・・
そしていつしか胡麻ら~油は誤魔化すの誤魔ら~油と呼ばれるようになった。
でもまあそれでも食の先進国・中国では何をやっても許される。
4つ足ならば机以外はみな食べる。
飛ぶものならば飛行機以外はみな食べる。
段ボールも食材にしてしまう。
そんな食の先進国、中国ならではのこと、
人肉も主食にしてしまう中国人のこと、
胡麻ら~油が誤魔ら~油になってもそれが中国の食文化。
以後、餃子にら~油がすっかり定着した。
ところが他にもまったく違ったら~油の説がある。
それは次回
(続く)
とばかりら~おばさん、せっせとら~油を作り、売り歩いた。
でもゴマ油、もとは雑草みたいなもの、ただ同然でとれるとはいえ、収穫して絞って油にする手間は大変なもの。
その上、胡椒はそれなりに手間も金もかかる。
せっかく評判になったのにこれじゃ生産が追い付かない。
そこでそれを見ていた息子、百姓は嫌いだけど売るのだったらなんとかなるかなぁ~なんて、
きっとそっちの方が楽だろうなぁ~なんて考えて、
ら~おばさんの胡麻ら~油を自分で売り歩くことにした。
そしてこれがうまくいった。
もともと2代目は商売に向いていたのだろう。
これですっかり商売も順調、やがて行商はやめて店を構え次第に大きくなっていった。
ところが、創業者が苦労して店を起こし、2代目がそれを広げ発展させて、苦労知らずの3代目がそれをつぶしてしまうというのが世の習い。
そうそう、3代目のだいになって、この3代目これがどうしようもないぐうたらな奴で、
何をしなくても売り上げはどんどん伸びている、ところが生産が追い付かない。
なんせもとはちまちまゴマを絞って作った油。これじゃ需要に追い付かない。
そこでもっと油を作らねば、と考えた末に思いついたのは・・・
そうだ!何も胡麻にこだわることはない、油だったらそこら辺にいっぱいいる!ということ。
そして生産を飛躍的に増やすことができた。
ところがそれと同時に集落には奇妙なうわさが・・・
ねぇ、近頃野良犬が減ったと思わない?そういえば野良猫も・・・そういえば人間も(?)・・・
なんか怪しいなぁ~・・・
そしていつしか胡麻ら~油は誤魔化すの誤魔ら~油と呼ばれるようになった。
でもまあそれでも食の先進国・中国では何をやっても許される。
4つ足ならば机以外はみな食べる。
飛ぶものならば飛行機以外はみな食べる。
段ボールも食材にしてしまう。
そんな食の先進国、中国ならではのこと、
人肉も主食にしてしまう中国人のこと、
胡麻ら~油が誤魔ら~油になってもそれが中国の食文化。
以後、餃子にら~油がすっかり定着した。
ところが他にもまったく違ったら~油の説がある。
それは次回
(続く)