つまらん話でしょうが今日はご勘弁。
昨日、岐阜大学で行われている年会の
宇宙論の講演を聴きに行ってきた。
宇宙の全てを計算式で論じている今の天文学を
私は決して正論だとは思っていない、
広い広い宇宙のことだから人間には理解不能なことがあっても
良いと思う、それを計算式に当てはめようとしても無理な話、
100億年もの昔に発せられた光が、曲がったりずれたりしても
仕方のないことではないだろうか、人間が考えた通りに
宇宙が出来ているならば、宇宙の神秘はなくなってしまう、
現に、宇宙のどの方面を探っても不明ばかりではないか、
教授に与えられたテーマを、学生がいくら研究しても
蜜を少し舐めさせるだけで教授の手柄、
教授の思想に染められたつまらん学生になっている。
その中で、74歳の阿武さんは一人自分の理論を発表していた、
学生たち(先生を含む50人ほど)は、しらけた顔をしている、
自分たちが研究している以外のことを話されても
自分の頭の歯車とかみ合わないのだろうか、
融通の利かない歯車にしている教育体系が
教授たち自身の研究を正当化し、正論化しようとしている
表れではないのか、
阿武さんの説明後、質問の時間をくれたが誰も手を上げないので
私が手を上げた、後退速度の式の不備を質問したら
今の天文学ではこれが正しいとされていると言った、
しかしその後、阿武さんはこの式は正しくないと思うと言った、
そこで私が、私はビッグバンは無かったと思っています、と
言ったところ、阿武さんの目が輝いた、
進行係りが止めてきたので、後で話をしましょうと言うことになった。
あ!っというまに誰もいなくなった教室で、
以前に手紙を出したことのあるものですと言ったら、
返事を出さずにすみませんと言われた、
そして、長野県の方ですか?と言われた、
そうです、覚えていてくださりありがとうございます、と言った。
30分ほど、ビッグバン理論の否定で意見が合い、
お互いの考えていることや意見を交換し、
またどこかでゆっくりと話がしたいと約束をした、
阿武さんの書いた文のコピーを送ってくれるそうだ。
私の意見は直接会って、書いて説明したい。
昨日、岐阜大学で行われている年会の
宇宙論の講演を聴きに行ってきた。
宇宙の全てを計算式で論じている今の天文学を
私は決して正論だとは思っていない、
広い広い宇宙のことだから人間には理解不能なことがあっても
良いと思う、それを計算式に当てはめようとしても無理な話、
100億年もの昔に発せられた光が、曲がったりずれたりしても
仕方のないことではないだろうか、人間が考えた通りに
宇宙が出来ているならば、宇宙の神秘はなくなってしまう、
現に、宇宙のどの方面を探っても不明ばかりではないか、
教授に与えられたテーマを、学生がいくら研究しても
蜜を少し舐めさせるだけで教授の手柄、
教授の思想に染められたつまらん学生になっている。
その中で、74歳の阿武さんは一人自分の理論を発表していた、
学生たち(先生を含む50人ほど)は、しらけた顔をしている、
自分たちが研究している以外のことを話されても
自分の頭の歯車とかみ合わないのだろうか、
融通の利かない歯車にしている教育体系が
教授たち自身の研究を正当化し、正論化しようとしている
表れではないのか、
阿武さんの説明後、質問の時間をくれたが誰も手を上げないので
私が手を上げた、後退速度の式の不備を質問したら
今の天文学ではこれが正しいとされていると言った、
しかしその後、阿武さんはこの式は正しくないと思うと言った、
そこで私が、私はビッグバンは無かったと思っています、と
言ったところ、阿武さんの目が輝いた、
進行係りが止めてきたので、後で話をしましょうと言うことになった。
あ!っというまに誰もいなくなった教室で、
以前に手紙を出したことのあるものですと言ったら、
返事を出さずにすみませんと言われた、
そして、長野県の方ですか?と言われた、
そうです、覚えていてくださりありがとうございます、と言った。
30分ほど、ビッグバン理論の否定で意見が合い、
お互いの考えていることや意見を交換し、
またどこかでゆっくりと話がしたいと約束をした、
阿武さんの書いた文のコピーを送ってくれるそうだ。
私の意見は直接会って、書いて説明したい。
回答になりませんよね~。
「私たちがそう考えているのだから
素人はそのように理解すればよろしい」って
事でしょ?
なんと傲慢な説明でしょう。
読んで腹が立ってきました。
違ったことが起こると、
その意見はちがうとか、排除しようとします、
食い下がると説明に時間がかかるなどと
逃げてしまいます。
ビッグバーン理論を正当化するならば、
ビッグバーンの痕跡を見つければ良いのです、
そうすれば間違いなくノーベル賞です、
宇宙の背景放射など問題外です。
前回のノーベル賞は天文学の立場を守るためなのです。
スーパーコンピューターを駆使しても
痕跡は見つけられないのです、
無かったのですから。
年会や講演会、天文講座に出席して感じたことは
教授や学生がマインドコントロールを
受けたのではないのか、と言うことです。