身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

チャアさま、楽しい笑い声をありがとうございました。

2019-04-01 00:53:10 | 独り言

2019年3月28日、白石冬美さんがご逝去されました。

「ビッグX」(1964)のニーナ役でデビューされた、アニメ声優界のレジェンドです。

私が、白石さんの声を意識したのは、再放送で見ていた「W3(ワンダースリー)」(1965)だと思います。

この「W3」のボッコ隊長(ウサギ)が大好きだったんです。

ただ、その頃は、同時期(1968頃)に放送されてた「怪物くん」や「巨人の星」の明子姉ちゃんが、同一人物の声とは気付いていなかったんですけどね。

それ以外にも「サイボーグ009」の001イワン(1968)、「あしたのジョー」のサチ(1970)、最近(?)では「機動戦士ガンダム」のミライ(1979)や「パタリロ」のパタリロ(1982)等々、数えきれないほど声の出演をされてきた方です。

この子供の頃から慣れ親しんだ声が、ラジオから聞こえてきたのは、中学生になりたての頃でした。

小学6年頃からラジオを聞き始めて、中学生になった時には、家族が寝静まった深夜にも聴くようになっていたんです。

そんな深夜に、ラジオのダイヤをいじっていると、昼間は聞き取れない地方の放送が聞こえてくることがあります。

そうして、出会った(聞き会った?)のが、TBSラジオの「パックインミュージック」。

雑音混じりで、番組表にも載っていない放送を聴くのは、何かスリルがあってワクワクしたものです。

特に金曜日(木曜深夜)の「ナッチャコパック」(野沢那智・白石冬美)が好きで雑音にも眠気にも負けず、夢中で聴いていました。

翌日の授業中は死ぬほど眠かったんですけど、それでも部活までして何とかもっていたのは、若かったからでしょうね。

みゆきさんのオールナイトニッポンが、始まる前のことです。

「ナッチャコパック」で、みゆきさんの歌を聴いた記憶はないのですが、間違いなく中島みゆきという存在を知ったのは、ラジオからでした。

と、みゆきさんのことは置いときます。

「金パ」こと「ナッチャコパック」のことを。

「ナッチャコパック」とは、アラン・ドロンの声などで有名だった野沢那智さん(ナッチャン/2010年没)と先に書いたようにアニメで活躍していた白石冬美さん(チャコちゃんまたチャアさま)の二人による2時間番組(AM1:00~3:00)。

『お題拝借』という、どこかで聞いたことのあるお便りコーナーが中心で、ミニドラマなんかもやっていました。

『お題拝借』のお便りを読むのは、ナッチャン。

ナッチャンの名人芸で、読み上げられるお便りに、笑い声で合いの手を入れるのが、チャアさまこと白石冬美さまでした。

(何故か私の中では、野沢那智さまは、ナッチャンなんですが、白石冬美さまはチャアさまなんです)

そんなチャアさまの笑い声が、凄く好きだったんです。

チャアさまの笑い声を聴くと、イヤなことがあっても忘れて、元気になれたんです。

落ち込んでても、チャアさまの笑い声につられて、楽しい気分になるんです。

そんな、心を軽くしてくださる笑い声が、本当に大好きでした。

そのパックインミュージックも、1982年に最終回をむかえます。

その後も、二人の名コンビぶりを惜しむ声が多くて、何故か放送局が変わって番組をされたりもしていたみたいです。

ただ、私は、パックインミュージック以降の番組は、聴いていません。

あの時間に聴くことが、楽しかったものですから。

しかし、終了直後はロスになりました。

「パックインミュージック」の本、「もう一つ別の広場」シリーズや、チャアさまの著書「十二人の猫たち」を買い揃えたりもしましたしね。

チャアさまの訃報を知って、それらの本を何十年振りかで、本棚の奥から出してきて読んでいたら、無性にその頃のことが書きたくなったというわけです。

お付き合いいただいて、ありがとうございました。

最後に、チャアさま、ステキなお声と楽しい笑い声をありがとうございました。

先に逝かれたナッチャンと、あちらで、名コンビを復活させてくださいませ。

心よりご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。

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