『中島みゆき"歌跡"の旅へ』とカッコつけた記事は、《黒部》で終わろうと思ってたんです。
しかし、もう1ヶ所どうしても行ってみたい場所が東京にありまして、「夜会」で上京した際に何とか探しあてて行ってきました。
ただし、たぶんここがそうじゃないか、程度なんですが、、、f(^_^;
そこは、
"「じゃ、歌のかた、どうぞ」
てなもんでスタジオ内へ案内されて、その広さにびっくりした田舎もんは、ヘッドホンを通して流れ出て来たカラオケを聞いて、またびっくり、なんとテンポはド早いし、キーときたらそれはそれは高いものでありましたとさ。"
"ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい"
(『楽園』中島みゆき著「泣かないで・女歌」)
と、勝手に出来上がっていたカラオケで、みゆきさんが最初にレコーディングをした場所です。
"あたし、たしかにピッカピッカの、アーパーの、たかが田舎もんの新人だったけど、さ。
悔しかったよ。自分が。"
と、綴られた初めてのレコーディング。
"海千山千のベテランおっちゃんたちは、なんだかわけのわかんない芸能界用語いっぱい使ってダーッとまくしたててさ。
「・・・とか言ってもわかんないだろうからさ、キミもう帰っていいよ。あと、こっちで適当にやっとくワ」"
自分で書いた曲なのに、どういう音にしたいのかということを具体的に説明できない、無知な自分に悔しい思いをした場所です。
十年、それ以上かかっても、いつかもっとレコーディングにたずさわれるようになりたい、と思った場所です。
"そうゆう口出しするようになっちゃうと、でしゃばりの自己満足レコード、なのかもしれないけど、でも、自分の曲や詞を産んでそれきり預けっ放しなんて、せつないじゃん。
自分の産んだ曲や詞でも、もっともっと才能のある育ての親に預けたほうが、ちぢこまらずに大きく育つことがあるっていうのもわかるよ。それくらいわかるよ。
わかるけど、せめてその才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。"
ある意味、今のみゆきさんの原点になった場所。
それが、
「ヤマハ エピキュラス・スタジオ」
みゆきさん曰く、略称
「エビピラフ・スタジオ」です。
そこは、この「楽園」によると、
"渋谷の駅をはさんで、スペイン坂からちょうど反対方向、同じ位の距離を行ったところに、こちらも坂道の途中にホテル街がある"
あたりで、
"坂の半ばあたりからグンと勾配が急になる。
ここを、会話を交わしながら登るつわものはなかなかあるめえ"
と、書かれた急坂にあるようです。
ただ、もう「エピキュラス・スタジオ」の名前はありません。
「エピキュラス・スタジオ」自体は、渋谷から目黒に移転し、2009年に営業を終了していました。
色々検索したところ、渋谷の「エピキュラス・スタジオ」は、現在は「ヤマハエレクトーンシティ渋谷」になっているらしいと。
らしい、と書いたのは、ヤマハの会社概要や変遷みたいな公的な資料では確認できなかったからです。
それ以外の記事や「楽園」の描写などから、たぶん間違いないと思われます。
↓が、その急勾配の先にある
現「ヤマハ エレクトーンシティ」です。
更なる「楽園」の描写で、ホテルを探して坂を登ってきた二人連れが、
"やっとこ坂道を登りきると、あらうれしや、そこにちょいと奥まった駐車場と、赤く淫靡に点った横文字のネオンを見つける。
これ幸いとスキップもんでドアを入ると、あらびっくり、お二人連れの目の前には非情なる急階段が、どおーんと高く高くそびえ立っている。エレベーターはない"
↓は、日が落ちてからの写真です。
どうです、描写の通りの佇まい。
公的資料で確認できなくても、ここで間違いないと思いませんか?
ただし、勇気のない私は、2度の上京ともここを訪れながら中には入れることができませんでした。
最初は、11月の「夜会」前(下の写真)に立ち寄ったので、時間もなくて写メだけ撮って立ち去りました。
もっと時間をかける予定が、雪で狂ってしまったんです。
そして、12月。
こちらも、何やかやあって、帰りの新幹線の前に寄ることに。
それでも、時間的には充分あったのですが、いざドアの前まで行くと、開ける勇気がなくて、、、(-_-;)
それというのも、あまりにも静かで、人気がなくて、営業してるのかどうかもわからなくて。
そこで、様子を見るために、
"この辺りをみゆきさんは、歩き回っていたのだろうか"
って、周辺をクルクル歩き回って、時間をおいて、もう一度トライしてみたのですが、やはり、同じような静寂。
結局、ドアに手をかけることもなく、スゴスゴと退散してしまいました。f(^^;
その時の写真が、昼の写真です。
この「ヤマハ エレクトーンシティ渋谷」の営業も、渋谷駅周辺の再開発に伴い、2017年12月22日(金)をもって終了するそうです。
ヤマハ エレクトーンシティビル自体が、再開発の対象となっているので、取り壊されるみたいです。
つま恋といい、ここといい、みゆきさんにとって思いでの地が消えていくのは、お寂しいのではないでしょうかね。
そのつま恋も、明日(2016.12.25)で、営業を終了してしまうんですよね。
なくなるか、どうかはわかりませんが、
川上源一氏が作り、中島みゆきを世に送り出した"ヤマハのつま恋"は、終了してしまうのですね。
12月25日の"月イチ"で、何か語られるでしょうか?
『♪時流につれて国は変わる
言葉の通じない国になっても この店は残ってね』
(「LADY JANE 」 )
と、歌われた"LADY JANE "の看板を最後に。
最後まで、お読みいただきまして、本当にありがとうございます。(^^)
では、また。(^-^)
しかし、もう1ヶ所どうしても行ってみたい場所が東京にありまして、「夜会」で上京した際に何とか探しあてて行ってきました。
ただし、たぶんここがそうじゃないか、程度なんですが、、、f(^_^;
そこは、
"「じゃ、歌のかた、どうぞ」
てなもんでスタジオ内へ案内されて、その広さにびっくりした田舎もんは、ヘッドホンを通して流れ出て来たカラオケを聞いて、またびっくり、なんとテンポはド早いし、キーときたらそれはそれは高いものでありましたとさ。"
"ひっくり返りそうにがんばって、キー違いもテンポ違いもがまんして、ハイハイッて何曲も歌いましたとさ。おしまい。―バカみたい"
(『楽園』中島みゆき著「泣かないで・女歌」)
と、勝手に出来上がっていたカラオケで、みゆきさんが最初にレコーディングをした場所です。
"あたし、たしかにピッカピッカの、アーパーの、たかが田舎もんの新人だったけど、さ。
悔しかったよ。自分が。"
と、綴られた初めてのレコーディング。
"海千山千のベテランおっちゃんたちは、なんだかわけのわかんない芸能界用語いっぱい使ってダーッとまくしたててさ。
「・・・とか言ってもわかんないだろうからさ、キミもう帰っていいよ。あと、こっちで適当にやっとくワ」"
自分で書いた曲なのに、どういう音にしたいのかということを具体的に説明できない、無知な自分に悔しい思いをした場所です。
十年、それ以上かかっても、いつかもっとレコーディングにたずさわれるようになりたい、と思った場所です。
"そうゆう口出しするようになっちゃうと、でしゃばりの自己満足レコード、なのかもしれないけど、でも、自分の曲や詞を産んでそれきり預けっ放しなんて、せつないじゃん。
自分の産んだ曲や詞でも、もっともっと才能のある育ての親に預けたほうが、ちぢこまらずに大きく育つことがあるっていうのもわかるよ。それくらいわかるよ。
わかるけど、せめてその才能ある育ての親ってやつに、希望くらい言ったっていいじゃん。言いたいじゃん。"
ある意味、今のみゆきさんの原点になった場所。
それが、
「ヤマハ エピキュラス・スタジオ」
みゆきさん曰く、略称
「エビピラフ・スタジオ」です。
そこは、この「楽園」によると、
"渋谷の駅をはさんで、スペイン坂からちょうど反対方向、同じ位の距離を行ったところに、こちらも坂道の途中にホテル街がある"
あたりで、
"坂の半ばあたりからグンと勾配が急になる。
ここを、会話を交わしながら登るつわものはなかなかあるめえ"
と、書かれた急坂にあるようです。
ただ、もう「エピキュラス・スタジオ」の名前はありません。
「エピキュラス・スタジオ」自体は、渋谷から目黒に移転し、2009年に営業を終了していました。
色々検索したところ、渋谷の「エピキュラス・スタジオ」は、現在は「ヤマハエレクトーンシティ渋谷」になっているらしいと。
らしい、と書いたのは、ヤマハの会社概要や変遷みたいな公的な資料では確認できなかったからです。
それ以外の記事や「楽園」の描写などから、たぶん間違いないと思われます。
↓が、その急勾配の先にある
現「ヤマハ エレクトーンシティ」です。
更なる「楽園」の描写で、ホテルを探して坂を登ってきた二人連れが、
"やっとこ坂道を登りきると、あらうれしや、そこにちょいと奥まった駐車場と、赤く淫靡に点った横文字のネオンを見つける。
これ幸いとスキップもんでドアを入ると、あらびっくり、お二人連れの目の前には非情なる急階段が、どおーんと高く高くそびえ立っている。エレベーターはない"
↓は、日が落ちてからの写真です。
どうです、描写の通りの佇まい。
公的資料で確認できなくても、ここで間違いないと思いませんか?
ただし、勇気のない私は、2度の上京ともここを訪れながら中には入れることができませんでした。
最初は、11月の「夜会」前(下の写真)に立ち寄ったので、時間もなくて写メだけ撮って立ち去りました。
もっと時間をかける予定が、雪で狂ってしまったんです。
そして、12月。
こちらも、何やかやあって、帰りの新幹線の前に寄ることに。
それでも、時間的には充分あったのですが、いざドアの前まで行くと、開ける勇気がなくて、、、(-_-;)
それというのも、あまりにも静かで、人気がなくて、営業してるのかどうかもわからなくて。
そこで、様子を見るために、
"この辺りをみゆきさんは、歩き回っていたのだろうか"
って、周辺をクルクル歩き回って、時間をおいて、もう一度トライしてみたのですが、やはり、同じような静寂。
結局、ドアに手をかけることもなく、スゴスゴと退散してしまいました。f(^^;
その時の写真が、昼の写真です。
この「ヤマハ エレクトーンシティ渋谷」の営業も、渋谷駅周辺の再開発に伴い、2017年12月22日(金)をもって終了するそうです。
ヤマハ エレクトーンシティビル自体が、再開発の対象となっているので、取り壊されるみたいです。
つま恋といい、ここといい、みゆきさんにとって思いでの地が消えていくのは、お寂しいのではないでしょうかね。
そのつま恋も、明日(2016.12.25)で、営業を終了してしまうんですよね。
なくなるか、どうかはわかりませんが、
川上源一氏が作り、中島みゆきを世に送り出した"ヤマハのつま恋"は、終了してしまうのですね。
12月25日の"月イチ"で、何か語られるでしょうか?
『♪時流につれて国は変わる
言葉の通じない国になっても この店は残ってね』
(「LADY JANE 」 )
と、歌われた"LADY JANE "の看板を最後に。
最後まで、お読みいただきまして、本当にありがとうございます。(^^)
では、また。(^-^)
久しぶりに取り出して「楽園」のページを読んでみました。
確かに、そんな感じがします。
渋谷駅周辺の再開発で取り壊されるとのこと、
ファンとしては寂しいですね。
"この施設は残ってね" と願ったつま恋も
ついに営業を終了してしまいました。
パワースポットですか?
確かに、パワーをもらえる著書の数々ですね。
(^^)v
つま恋の終了、再開発、時流には逆らえませんね。
また、3月に照明の小川幾雄氏のご逝去され、今また、「ピエロ」を歌われた根津甚八さんご逝去のニュース。
年月の長さを考えるて、避けられないことなのでしょうが、少し寂しい年末ですね。
お二人のご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。(^-^)