先日、水干の写真を探したのですがあまりにアルバムが多すぎてまだ見つかりません。
その時思ったのです。重いアルバムもそろそろ整理しなくては・・・と。
息子からスキャナーを探してもらったので、ボツボツとスキャンしてPCに保存して行くことにしました。
旅や山などもう何年も見ていない写真を見ての記事は薄れた記憶をたどったものです。
自分の記録を兼ねて。。。
かれこれ二十年ほど昔、万葉集にかぶれていたころ、
志貴皇子が好きでした。
天智天皇の第七皇子で母は采女。
皇位に就くことはありませんでしたが、
天智系をつなぐ大事な方。子に光仁天皇、湯原王など。
バス停近くに立つ歌碑
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも
今よりずっと元気だった私は恋しい人に会いに行くような思いで
全く知らない土地を訪ねて行ったのでした。
田原御陵参道・・・畑の中の一本道・・そんな参道でした。
志貴皇子はここ田原の里に埋葬されたようです。
春日宮天皇と追尊されました。
石碑は「春日宮天皇田原西陵」となっていました。
この時はずいぶん朽ちていましたが、今はどうなっているのでしょうか。
周りはお茶畑。人の姿などありませんでした。
ワンカップを開け、小一時間ほど居たように思います。
ちょうど一月の今頃の時期でした。
またこの参道を戻り、奈良行きのバスを待ちました。
志貴皇子の歌
采女の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
むささびは木末求むとあしひきの山の猟師に逢ひにけるかも
神なびの石瀬の杜のほととぎす毛無の岡にいつか来鳴かむ
大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも
石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
葦辺ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
万葉集には以上六首が収められています。
昨日は夕方御陵にいたので夕日はあきらめていました。
御陵を後にして、高尾駅への近道と言う標示通りに道をゆきました。
御陵の森から抜け出たら傾いた日がまだ空に・・・
冬の日が眩しい道です。
道路に反射してきれい。右手は御陵の塀です。
木々の枝の繊細なシルエット。
ちょうど良い時にこの道を歩けたようです。
御陵の森とはここで別れ左へ行きます。
橋を潜る所でも夕日を一枚。
かろうじて間に合いました。
橋上から高尾の山に沈む夕日です。
夕日に染められてかがやく川面。
川上を染め上げ今は私の足下の水面も初めて入り日は mimoza
山と川そして夕日・・・良い出会いでした。
赤々と空を染めて日は沈んで行きます。
あまり見る事もないであろう高尾の町での夕日でした。
御陵を後にして、高尾駅への近道と言う標示通りに道をゆきました。
御陵の森から抜け出たら傾いた日がまだ空に・・・
冬の日が眩しい道です。
道路に反射してきれい。右手は御陵の塀です。
木々の枝の繊細なシルエット。
ちょうど良い時にこの道を歩けたようです。
御陵の森とはここで別れ左へ行きます。
橋を潜る所でも夕日を一枚。
かろうじて間に合いました。
橋上から高尾の山に沈む夕日です。
夕日に染められてかがやく川面。
川上を染め上げ今は私の足下の水面も初めて入り日は mimoza
山と川そして夕日・・・良い出会いでした。
赤々と空を染めて日は沈んで行きます。
あまり見る事もないであろう高尾の町での夕日でした。