眼科クリニックの19階からすぐ前のニコライ堂を見降ろせます。
いつも見上げるばかりでしたが、全貌を~ ↓JR側には東京医科歯科大が見えます。

明治17年~24年まで7年の歳月をかけて建てられましたが、対象12年の関東大震災により鐘楼の倒壊、それによりドームが崩壊。
その後6年の歳月をかけて聖堂を復興させました。それが現在のニコライ堂となっています。
日本では有数のビザンチン様式の建築で,1962年に国の重要文化財に指定されました。(以上パンフレットより)

左画像の十字架は八端十字と呼ばれる。上の短い横棒は十字架に貼られた罪状札を表し、
下の斜めの横棒は足台をあらわしているそうです。
十字架にはその他縦の棒の長い一般的な十字架(ラテン十字)と縦て横の棒の長さが同じギリッシャ十字などがあるそうです。

※ ニコライ・カサートキンは伝道司祭として1861年6月、函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。
日本語と日本文化を積極的に学び正教の教えを日本人に伝えた。聖書などの翻訳や、ニコライ堂をはじめとして
聖堂を日本各地に建てた。1912年、75歳で永眠。谷中墓地に埋葬される.
1970年に亜使徒大主教聖ニコライとして聖人とされた。 ~パンフレットより~

新お茶の水駅へ向かう途中の坂から見たニコライ堂。
眼科のある新お茶の水ビル
いつも見上げるばかりでしたが、全貌を~ ↓JR側には東京医科歯科大が見えます。





明治17年~24年まで7年の歳月をかけて建てられましたが、対象12年の関東大震災により鐘楼の倒壊、それによりドームが崩壊。
その後6年の歳月をかけて聖堂を復興させました。それが現在のニコライ堂となっています。
日本では有数のビザンチン様式の建築で,1962年に国の重要文化財に指定されました。(以上パンフレットより)


左画像の十字架は八端十字と呼ばれる。上の短い横棒は十字架に貼られた罪状札を表し、
下の斜めの横棒は足台をあらわしているそうです。
十字架にはその他縦の棒の長い一般的な十字架(ラテン十字)と縦て横の棒の長さが同じギリッシャ十字などがあるそうです。






※ ニコライ・カサートキンは伝道司祭として1861年6月、函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。
日本語と日本文化を積極的に学び正教の教えを日本人に伝えた。聖書などの翻訳や、ニコライ堂をはじめとして
聖堂を日本各地に建てた。1912年、75歳で永眠。谷中墓地に埋葬される.
1970年に亜使徒大主教聖ニコライとして聖人とされた。 ~パンフレットより~



新お茶の水駅へ向かう途中の坂から見たニコライ堂。

