時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

露骨なプロバガンダについて

2013-06-27 23:32:45 | マスコミ批判
元来、プロバガンダ(宣伝)とは単なる宣伝行為を指す言葉で
もともとは自分たちの主張を広めるという良い意味で使われていました。

それがいつしか嘘とかデマと同義にされてしまったわけですが、
今日、さる有名書店で見た陳列は、まさにプロバガンダだなと
思いました。

『チャーチル 不屈のリーダーシップ』という帯紙に
「偉人の伝記」と紹介される本が大量に並ぶ一方で、
そのすぐ右隣りには「ろくでなしのロシア」という
現代ロシアおよびプーチン批判本が山積みされているんですよ。

イギリスのチャーチルだって植民地国に対しては
相当あくどいことをしたはずなんですが、こうも露骨に
「共産主義国ダメ!資本主義国イエス!」
という並べ方で宣伝されると、やっぱこういう市場の場で
中立的なポーズをとりながら露骨に権力側に与した商売が
されていくのだなと驚きました。

よくよく考えれば、プロメテウスの罠なんていう
反原発のポーズをとった連載をしている朝日新聞が
震災が起きる前の2009年の時点で経産省の原発推進
広告をでかでかと掲載していましたし、こういう無色の
ふりをして、著しくドス黒い宣伝がなされているんですよね。

日本における言論弾圧について

2013-06-27 23:21:18 | マスコミ批判
今の日本は北朝鮮性悪説論者が絶対視される風潮にありますが、
そういう中で、実のところ北朝鮮は国際的に見れば最も弱い立場
にある国であって、近年の外交は弱国に対する強国の独善的な
攻撃なんだという主張をしているサイトもわずかですが存在します。

その中の一つが在日コリアンの方が書いている
スーパーゲームズワークショップという言論サイトです。

原発問題などでは、若干、それはどうよと思う点も
あるのですが、基本的には頷けるものが多く、
かつ右も左も非民主主義国への攻撃の手をやめない
この日本の論壇において、全く別のベクトルから現代の
国際問題を描く、すなわち弱国の立場から世界を
映すというこのサイトは非常に価値あるものだと思います。

さて、このサイト、先日、石丸次郎なる自他称「北朝鮮の専門家」
によって攻撃を受け、強制的にブログを凍結されました

この事件の前にあった朝鮮新報へのサイバーテロといい、
こういう有無を言わさぬ圧殺というのが実際に行われているのですよね。

共産主義国は言論の自由を侵害しているというのが
お決まりのセリフですが、自由主義国だってそれに
負けず劣らず弾圧をしていますよ。

共産主義国では言論弾圧は政府の手によって行われますが
自由主義国では民間の手によって自発的に行われます。
しかも、個人の手によるものの場合、それがどれだけ
悪質であっても、個人的な問題として解決され、
決して全体的な問題であるという解釈はされません。
(意図的にこのような解釈を排除する動きがここに生じます)

そのプロセスが民主的である以上、その問題性を指摘される
ことは少なく、ある意味、共産主義国のそれより悪質な排除とも言えましょう。

正直、巷で言われる学校でのいじめだって、社会にはびこる
この手の民主主義的かつ自由に行われている差別が
縮図となったものであり、根本的な問題を解決しなければ
どんなに対策を練ったところで焼け石に水なんですよね。

こういうラディカルなことばっかり言っていると、
昔の全共闘世代と同一視されるんじゃないかと不安げでは
あるのですが(あー言う信念がない暴力集団は凄く嫌いです)、
新聞やテレビだけでなくインターネットにおいても、やがて
言論検閲が民主的に非イデオロギー的に行われるような気がしてなりません。
(現に既に何件か発生しているし)

最近の慰安婦問題について

2013-06-27 22:23:38 | リビア・ウクライナ・南米・中東
『「慰安婦」バッシングを越えて』という本が本日出版されました。

文字通り、近年の慰安婦問題に対しての論考集なのですが、
責任編集の方、また執筆陣を見る限り、これはこれで問題があるかも
しれないと思いました。

もちろん、慰安婦問題の泰斗である吉見義明教授や
2000年に開かれた国際女性戦犯法廷の開廷に尽力した池田恵理子さんなど
魅力的な方々も協力してはいるのですが、前田明先生に執筆させちゃうのは
どうかと思いました。

前田先生はヘイト・クライム(昔でいう人種差別)やジェノサイドの
研究者ですが、先生の考え方には、どこか平和に対する甘い幻想が
見え隠れする気がします。

例えば、コスタリカに対する姿勢ですが、同国は長年
典型的な親米政権であり、その平和主義外交はいわば
アメリカの公認によって成り立ったものでした。

決して、アメリカのラテンアメリカに対する軍事的経済的圧力に
立ち向かう抵抗思想として平和主義外交を展開したわけではありません。

アメリカの暴力に対して黙認している平和ってはたして本当に
平和なのかなーと私は思うのですが、前田先生はこの点については
特に言及していません。

じゃー他の点はどうなのという話ですが、ここで再三言及している
リビアに対する欧米諸国の侵略行為に対しても、やはり西側諸国の
見解をそのまま踏襲したような態度であって、平和主義といいつつ
その実、「ある特定の国家に対してのみ有益な平和を叫んでいるのではないか
という疑問が生じてならないのです。

前田先生に限らず、慰安婦問題やその他の社会問題に言及している
人の中には、知識は正しいけれど結論が甘いというか肝心な点が
欠けているような、最終的には極右に敗北してしまうような不安要素を
抱えた方が少なくありません。

仮に慰安婦の忘却運動に対してノーと言えても、
じゃー、数こそ少ないが北朝鮮にルーツを持つ慰安婦に対して
同じ態度が取れるのかということ、シリアやアルジェリアのような
先進国に圧迫されている必ずしも平和的と言えない国家に対して
弁護してやれるのかということを考えると、たぶん逆に彼らを
差別する連中と一緒になって後ろ指をせっせと差すんじゃないかと
思えてなりません。

この手の知識人に多いのが狭視的な見解といいますか、
核にはノーと言うくせに軍縮そのものには深く言及しない人や、
沖縄問題や慰安婦問題にはノーと言うわりに領土問題に対しては
外務省の見解を鵜呑みにする人、つまり一部においては正しいが
全体においては正しくない考えを持っている人間です。

そして、こういう人に限って民主主義とか平和とか人権とか
そういう言葉を神聖視して、それに抗う者すべてを
排除せんとする危うい行動も犯しがちです。

ですから、暴力を徹底的に否定する反面、
北朝鮮に対する露骨な兵糧攻めを好意的に評価し、
権力者と一緒に攻撃する態度を取ってしまう。

そういう部分的な正しさをもって
この全体的にはびこりつつある右傾化に対して
強力なカウンター・アタックを喰らわせることができるのかを
考えると非常に疑わしいです。実際、全共闘世代というのは
共産党に対してノーを叩きつけて自己正当化をはかったわけ
ですが、反共主義に走った結果として、現在、その多くは
体制側に陥っています。もっと非道い場合では、口だけ
権力に抗いながら、実際には追認している卑怯者もいます。

そんな中途半端な正義が通用するとはとても思えないんですよね。


実を言うと紹介した本の責任編集者の中に
知り合いの方がいるのですが、日常的に接してみて、どうも
ラディカルな日本社会を築く一助になりえる人には思えない
人物なので、こりゃどうかと思った次第です。

もちろん、このご時世、こういう本を出版すること自体に
文句はないのですが、やはり慰安婦問題だけの話で終わっちまう
んじゃないかと危機感を覚えてしまうんですよね。