南北朝鮮の歴史的な和解のセレモニーが開かれ、数日が経つ。
この間、何かコメントを書こうとしてきたが、
またしても多忙を理由に記事に上げるのを躊躇してきた。
手前みそだが、
当サイトの過去に挙げた記事を読めば
北朝鮮を巡る政治情勢が如何に日本のメディア(と大多数の知識人)
の言い分と食い違うか自ずと知れるはずである。
わざわざ書かなくても
もう一度読めば、伝わるはずだと甘えていたのかもしれない。
話を元に戻そう。
左翼・自称リベラルは、この対談を呑気に歓迎しているが、
私はどうも楽観視することができない。
それは、この対談(雪解けの動き)が
日本の平和主義者が参加しない形で進められたからだ。
①北朝鮮の脅威など存在しない
②平和条約の締結と合わせた核廃棄を北朝鮮は当初から提案し続けている
③一方的な武装解除を求めて経済的軍事的圧迫をかけても効果はない
以上、3点を4~5年前から繰り返し具体的に説明してきたのだが、
この考えが日本の政治家や知識人の間に浸透するよりも先に
米韓の政治家のほうが動いた。
これは換言すれば、日本の左派が継続的に
アメリカや日本、韓国の軍事的経済的包囲網に
異議を唱えてきた苦労が報われたというよりは、
平和の旗を振りながらも、いざ北朝鮮が相手となると
途端に政府と一緒に北朝鮮を悪魔化してきた過程で
ふと湧いてきたにすぎないと言えよう。
実際、大半の平和主義者は核のことには言及しても
さらに踏み込んで経済制裁の完全撤廃、ならびに
朝鮮半島からの米軍撤退を主張してはいない。
北朝鮮が核を捨てるか否か。
ただ、それだけが彼らの関心事であり、
肝心の北朝鮮の民衆の生活や安全の確保には
さして興味がないのではないだろうか?
そう思えてならないのである。
・・・とこれだけ書いても、
言葉不足でやや説得力がないだろう。
生憎、時間が足りないので
詳しいコメントは明日の夜に改めて書くつもりだ。
繰り返すが、私が気にしているのは
一連の和解は、政府のみならず、
日本の平和運動の北朝鮮に対する敵意を骨抜きにして
進められたものであり、安倍だけでなく左翼も蚊帳の外にされていた
という事実について、当事者があまりにも無自覚ではないかということである。
今後の交渉・行動自体では、
北朝鮮はまた核開発に着手するかもしれないが、
その時に日本の平和主義者は北朝鮮の側に立って弁護できるだろうか?
核をなぜ手放せないのか(その理由はこれまで何度も説明してきた)
について、特に考えず、核開発を行うという理由をもって、
また政府と並んで北朝鮮バッシングに奔走しないだろうか。
そのような不安が拭えないのである。
(2へと続く)