前回、軽く日本におけるイスラモフォビアについて触れたが、
これに関連して数日前に掲載されたスプートニク紙の記事を紹介したい。
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日本にいるムスリムへの当局の監視については、
2010年の警察情報の大量漏洩で知られるようになった。
そこには彼らの通うモスクや、名前、住所、風貌、交友関係など、あらゆる個人情報が含まれていた。
情報共有サイトには数週間で20カ国から1000万人以上のユーザーのダウンロードがあった。
宮坂直史防衛大学教授は、
これは日本の対テロ史上最大の失敗である。警察と情報提供者との間の信頼と協力を通じて
潜在的な脅威に関する情報を収集する治安機関の評判が傷ついたためだ。
その後まもなく、日本のイスラム教徒のグループが(中には日本人もいた)、東京都と政府を提訴した。
このような措置は違法であり、信教の自由を侵害するものである、とのことだった。
アルジャジーラによると、裁判所は、補償として原告に88万ドルを支払うことを命じた。
しかし裁判所は、テロ防止の必要性を考慮し、監視の停止については決定を取らなかった。
モハメッド・フジタさんは日本人。20年以上前にイスラム教に改宗した。
氏は、これではすべてのイスラム教徒が自動的にテロの容疑者になってしまう、と言う。
「彼らは私たちをテロ容疑者にしてしまった。我々は違法なことなど何もやっていない」とフジタ氏。
日本の裁判所の判決に対し、スプートニクの取材に応じた
イスラム研究センター基金のマルジャニ・イルシャト・サエトフ学術代表が見解を示した。
「私は、このやりかたは人権を侵害している、と思う。
連帯責任の原則が特定の人種、国籍、社会集団や宗派に課されてはならない。
イスラム教徒の99.9%は平和な人々であり、誰にも害を及ぼさない。
一方、治安機関と警察は、犯罪やテロリストとの関連を疑われている人を追跡する必要がある。
裁判で、原告の弁護士は、日本のイスラム教徒人口の98%以上が監視下にあった、と述べた。
しかし、私は日本ですべてのイスラム教徒が追跡されていたとは思わない。
おそらく追跡は特定の個人に対して行われており、インターネットに流出した
114件の警察ファイルから判断すると、おそらくその人々こそ最も強い疑いがかけられていた。
この人々にはもしかしたらインターポールや外国の特務機関も追跡を行っていたかもしれない。
しかし、日本の当局がイスラム教徒へのスパイ行為を容認する最高裁判決に関する情報を
「ミュート」するために最善を尽くしたことは注目に値する。
どうやら彼ら自身、特定の宗教グループを追跡することは正しいことではない、
ということを理解しているらしい。ここには矛盾が見られる。
一方で、裁判所は、原告に有利な判決を下し、補償を与えている。
一方で、監視は必要であると認定された。私は追跡の性質についてはデータを持っていないが、
おそらく、最高裁は国家安全保障の観点から問題を検討しており、
下級裁判所は単に法律の条文に従ったのだろう」
元NSA職員エドワード・スノーデン氏も意見を述べている。
「まず第一に、何の犯罪にも関わっていないイスラム教徒が苦しむ。
日本でテロが最後に行なわれたのは20年前の 「オウム真理教」事件で、
東京地下鉄へのガス散布により13人が死亡、6000人以上が負傷した。
それはイスラム教徒のグループではなかった。
単に教祖を日本の皇帝にしようとした狂信者の犯行に過ぎなかった」
とスノーデン氏。イスラム・トゥデイが報じた。
日本の国外では、日本人はしばしばイスラム過激派のテロの犠牲者になっている。
7月1日に発生したダッカの人実事件では、報道によると、日本人7人を含め、20人が殺害された。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160705/2423847.html
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重要なことは、イスラム原理主義者の犠牲者の多くはイスラム教徒であるということである。
ムスリムの多様性を無視して、悪戯に敵視する。これは日本に限られた話ではない。
例えばフランスのパリで起きた同時多発テロ事件は大きく取り上げられる一方で、
シリアやレバノンで日常的に起きるテロに対してはこれといった批判が起きない。
こういう矛盾が当たり前のように受け入れられている。
そのため、フランスの知識人の中には日本はまだマシと答える人間もいる。
とはいえ、彼らは日本当局がムスリムを監視していたことは知らないわけで、
ムスリムに対する偏見を助長させるような真似を政府が行っているという点では
フランスとどっこいどっこいである。
加えて、ヨーロッパが歴史的にイスラム圏と衝突していたのに対して
日本はこれといってイスラム圏と敵対したことがないことを思えば、
むしろ、イスラムに対する過剰な恐怖心は日本のほうが勝っているのかもしれない。
これに関連して数日前に掲載されたスプートニク紙の記事を紹介したい。
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日本にいるムスリムへの当局の監視については、
2010年の警察情報の大量漏洩で知られるようになった。
そこには彼らの通うモスクや、名前、住所、風貌、交友関係など、あらゆる個人情報が含まれていた。
情報共有サイトには数週間で20カ国から1000万人以上のユーザーのダウンロードがあった。
宮坂直史防衛大学教授は、
これは日本の対テロ史上最大の失敗である。警察と情報提供者との間の信頼と協力を通じて
潜在的な脅威に関する情報を収集する治安機関の評判が傷ついたためだ。
その後まもなく、日本のイスラム教徒のグループが(中には日本人もいた)、東京都と政府を提訴した。
このような措置は違法であり、信教の自由を侵害するものである、とのことだった。
アルジャジーラによると、裁判所は、補償として原告に88万ドルを支払うことを命じた。
しかし裁判所は、テロ防止の必要性を考慮し、監視の停止については決定を取らなかった。
モハメッド・フジタさんは日本人。20年以上前にイスラム教に改宗した。
氏は、これではすべてのイスラム教徒が自動的にテロの容疑者になってしまう、と言う。
「彼らは私たちをテロ容疑者にしてしまった。我々は違法なことなど何もやっていない」とフジタ氏。
日本の裁判所の判決に対し、スプートニクの取材に応じた
イスラム研究センター基金のマルジャニ・イルシャト・サエトフ学術代表が見解を示した。
「私は、このやりかたは人権を侵害している、と思う。
連帯責任の原則が特定の人種、国籍、社会集団や宗派に課されてはならない。
イスラム教徒の99.9%は平和な人々であり、誰にも害を及ぼさない。
一方、治安機関と警察は、犯罪やテロリストとの関連を疑われている人を追跡する必要がある。
裁判で、原告の弁護士は、日本のイスラム教徒人口の98%以上が監視下にあった、と述べた。
しかし、私は日本ですべてのイスラム教徒が追跡されていたとは思わない。
おそらく追跡は特定の個人に対して行われており、インターネットに流出した
114件の警察ファイルから判断すると、おそらくその人々こそ最も強い疑いがかけられていた。
この人々にはもしかしたらインターポールや外国の特務機関も追跡を行っていたかもしれない。
しかし、日本の当局がイスラム教徒へのスパイ行為を容認する最高裁判決に関する情報を
「ミュート」するために最善を尽くしたことは注目に値する。
どうやら彼ら自身、特定の宗教グループを追跡することは正しいことではない、
ということを理解しているらしい。ここには矛盾が見られる。
一方で、裁判所は、原告に有利な判決を下し、補償を与えている。
一方で、監視は必要であると認定された。私は追跡の性質についてはデータを持っていないが、
おそらく、最高裁は国家安全保障の観点から問題を検討しており、
下級裁判所は単に法律の条文に従ったのだろう」
元NSA職員エドワード・スノーデン氏も意見を述べている。
「まず第一に、何の犯罪にも関わっていないイスラム教徒が苦しむ。
日本でテロが最後に行なわれたのは20年前の 「オウム真理教」事件で、
東京地下鉄へのガス散布により13人が死亡、6000人以上が負傷した。
それはイスラム教徒のグループではなかった。
単に教祖を日本の皇帝にしようとした狂信者の犯行に過ぎなかった」
とスノーデン氏。イスラム・トゥデイが報じた。
日本の国外では、日本人はしばしばイスラム過激派のテロの犠牲者になっている。
7月1日に発生したダッカの人実事件では、報道によると、日本人7人を含め、20人が殺害された。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160705/2423847.html
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重要なことは、イスラム原理主義者の犠牲者の多くはイスラム教徒であるということである。
ムスリムの多様性を無視して、悪戯に敵視する。これは日本に限られた話ではない。
例えばフランスのパリで起きた同時多発テロ事件は大きく取り上げられる一方で、
シリアやレバノンで日常的に起きるテロに対してはこれといった批判が起きない。
こういう矛盾が当たり前のように受け入れられている。
そのため、フランスの知識人の中には日本はまだマシと答える人間もいる。
とはいえ、彼らは日本当局がムスリムを監視していたことは知らないわけで、
ムスリムに対する偏見を助長させるような真似を政府が行っているという点では
フランスとどっこいどっこいである。
加えて、ヨーロッパが歴史的にイスラム圏と衝突していたのに対して
日本はこれといってイスラム圏と敵対したことがないことを思えば、
むしろ、イスラムに対する過剰な恐怖心は日本のほうが勝っているのかもしれない。