多可町の山と自然

ふるさと多可町(兵庫県)の自然や登山情報をお届けします。千ヶ峰、笠形山、妙見山、大井戸山、竜ヶ岳、三国岳など

戸塚~藤沢~平塚 東海道五十三次ウォーク(3日目)

2015年03月19日 | ウォーク 東海道五十三次
3月11日 横浜ブルーラインで関内から戸塚へ。戸塚東口を出て歩きはじめるも、ローソンの角を曲がらず
真っ直ぐ行ってしまい道を間違える。往復2キロくらいロスしてしまった。戸塚西口から出るか、戸塚東口を出
たらまず踏切を越える。戸塚駅を出て500mくらいのところが戸塚宿。富士山に松の景色、昔と現在は大違い。


第六天神社、坂木稲荷社を過ぎると正徳や元禄年間建立の庚申塔群がある。
  

戸塚の町を抜けるときつい上り坂。登り切ったころに歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんで建てられた
お軽勘平道行碑がある。逃避行の場で勘平はお軽に「戸塚の山中石高道で足は痛みはせぬかや」と
いたわったとか。今も昔もきつい坂には変わりなし!!


日本橋から46キロ、少し高台なのでほんの少しですが富士山が見える場所もあります。
 

浅間神社、龍長院参道口と変化の少ない国道1号沿いを進む。
 

諏訪神社、鉄砲宿。看板がしっかり整備されているので、読む楽しみが増えます。
 

大学駅伝でもよく名前を聞く「遊行寺」の坂。遊行寺には大イチョウや小栗判官墓もある。
  

小さな公園の中にある義経首塚。遊具があるけど、ここで遊ぶのはちょっと怖いな(笑)
女性の願いを叶えてくれるというおしゃれ地蔵。口紅におしろいを塗った姿がかわいらしい。
 

二ツ家神社の境内には藤沢市指定重要文化財の庚申供養塔もある。急にトイレに行きたくなって
きた。近くにコンビニもなく、仕方なくマクドナルドでティータイム。公衆トイレは全くない。
 

茅ヶ崎市に入った。茅ヶ崎と言えば海のイメージだけど、海は全然見えない。でも周辺は松並木が
たくさん残っていて往時をしのばせる。
 

日本橋より十四里目の一里塚、茅ヶ崎市の指定遺跡。一里塚の交差点をはさんだ反対側、横浜
中華街にもある景珍楼茅ヶ崎店でランチをいただく。もやしラーメンとチャーハンのセット。
ちょうどお昼時で店内はいっぱいでした。
 

おなかがいっぱりになり、元気が出たところで旧寛永寺石燈籠、第六天神社と進む。
 

鳥井戸橋のあたりで左富士が見えた。東海道で左に富士山が見えるのはここと吉原の二カ所だけ
らしい。雲がもう少し晴れてくれればなあ・・・。


左富士之碑のすぐ先に嶺神社の鳥居と弁慶塚がある。鶴嶺神社までは往復2キロ、足は容赦なく
疲れているのでここはパス。
 

旧相模川橋脚手前あたりがちょうど日本橋から60キロ。橋脚は公園になって整備されていました。
鎌倉期はここが相模川であったと言われ、源頼朝がここで落馬し、これが原因で翌年亡くなった。
現在のおだやかな川面からは想像もできません。
  

旅の守り神道祖神をすぎると、いよいよ最終目的地の平塚市に入りました。
 

現在の相模川(馬入川)を渡ります。馬入橋の上は猛烈な風が吹いている。この風で後日ほほが
かぴかぴに・・・。今日は全国的に大荒れだとか。晴れているだけでもありがたいと思わなきゃ。
 

ちょんまげ最中のお店は残念ながらしまっていまいました。ホテルサンライフガーデンの
ロータリーには明治天皇馬入小休所跡碑も。
 

丁髷塚を探すも見つけられず、足の痛みがもう限界。15:15足を引きずりながら、平塚駅
到着。日本橋からは63キロくらいでしょうか。


小田原までJRで約25分。昔の鼻のある新幹線はもうないんですね~。こだまもひかりも
みんなカモノハシでした。帰りは新幹線の中でぐっすり。
 

2泊3日東海道の旅は終わりました。日本橋、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚
やっと8つ終わりました。毎日約20キロ、8時間の行程でした。これ以上は足がとても持ちません。
このしんどさを忘れた頃に、次の旅へ出たいと思います。そのうち自転車になり、自動車になって
いるかもしれませんが・・・(笑)
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川崎~神奈川~保土ヶ谷~戸塚 東海道五十三次ウォーク(2日目) 

2015年03月19日 | ウォーク 東海道五十三次
3月10日 7:00川崎を出発 国道ではなく、なごりを残す旧東海道の道を進む。1キロほど歩くと
芭蕉句碑がある。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」見送りの門人とここで別れ、5か月後大阪で没したそうです。
 

街道沿いにはお寺や神社が本当に多い。500mもいかないうちに神社仏閣にたどり着きます。こちらは熊野神社、
境内の狛犬は慶応2年(1866)の建立。今日は快晴、でも風が冷たい。
 

鶴見川橋を通過。現在の橋は平成8年竣工、白いアーチ式。付近は立派な港湾で、昔の面影はない。
 

街道から少し離れたJR鶴見駅のすぐ近く、鶴見神社にも立ち寄りました。
 

魚河岸通りには下町風情の魚屋さんが今もたくさん並んでいます。魚河岸通りのはずれには生麦事件碑があり、
現在は高速道路の工事中で、少し場所が移動していましたが、きれいに祀られていました。
 

今日は天気の予報にも関わらず、あられが降ってきました。梅の花は満開なのになあ・・・。
お寺がたくさんあるこのあたりがちょうど神奈川宿あたり。
 

京急神奈川駅のすぐそば、青木橋で信号を待っていると、横浜のマダムに「この信号は押さないと変わらないのよ」
と教えていただく。上品なマダムに田中屋の場所まで教えていただきました。坂本竜馬の妻、おりょうが働いていた
そうです。今日は定休日でしたが、今も料亭として健在です。


神奈川関門跡碑、浅間神社過ぎた頃そろそろ足が限界、おなかもすいてきた。
 

都会だから食事の場所には困らないと思っていたけど、駅周辺と国道沿い以外ではなかなか食事処が見つけられない。
11:30天王寺駅周辺でやっと見つけたとんかつきたみ。ミックスフライは文句なしのおいしさでした。


昼食を済ませ元気百倍、金沢横町道標が4基、狭い敷地に残されています。ここを過ぎると保土ヶ谷一里塚です。
 

保土ヶ谷を過ぎると、東海道で初めての上り坂。坂の名前を問われた老人が自分の名前と勘違いして「権太」と
答え、その名がついたと言われる権太坂。境木地蔵をすぎると武蔵国を出て、いよいよ相模国に入りました。
  

焼餅坂を過ぎると品濃一里塚があります、日本橋から九里目。高台からは富士山もところどころ見えてきました。
  

ここにきてはじめて、やっと畑がありました。こんな都会でも土を耕し、作物を育てている人がいるんですね~。
 

県道318号線の高架を渡ります。高架下は車がブンブン。
 

JR東戸塚駅を過ぎるころ、腰、膝から足裏から足指からすべてが痛い。もうそろそろ限界だ。写真を撮る気力がなく
なってきた。唯一撮ったのが神奈川名木百選、益田のモチの木。「モチモチの木」の絵本に出てきそうな枝ぶりでした。


15:30 JR戸塚駅到着 今日のお宿は戸塚駅からJRで20分、関内駅近くのリッチモンドホテル横浜馬車道。
戸塚駅周辺より桜木町や関内あたりにはホテルはたくさんあります。交通の便も良く、利用しやすい。晩ごはんはホテル
1階チャンパーでタイ料理をいただく。生春巻きにグリーンカレー。タイのビールも最高においしかったです。
   

本日の歩行距離約23キロ。湿布をはりはり寝ることに・・・さすがに私の足ではこの距離がが限界です。
神奈川県に入って歩道がない道路が多くなりました。また公衆トイレは皆無で、駅かコンビニしかありません。
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