多可町の山と自然

ふるさと多可町(兵庫県)の自然や登山情報をお届けします。千ヶ峰、笠形山、妙見山、大井戸山、竜ヶ岳、三国岳など

吉田~御油~赤坂~藤川 東海道五十三次ウォーク(16日目)

2017年03月04日 | ウォーク 東海道五十三次
3月1日(水)7:30豊橋駅出発。豊橋市の市街地を抜け、豊川を渡ります。
 

県道387号線に入ってすぐに下地一里塚跡がある。日本橋からは七十四里目。下地村は戦火を免れたため、旧家が
多く残っている。一里塚のすぐそばにあるヤマサンは元禄十六年(1703)創業の菜種油商。


県道496号線白鳥豊橋線に入り、少し北に入ったところにある瓜郷遺跡は、国指定遺跡で弥生時代の住居が復元
されている。
 

菟足神社は武蔵坊弁慶が写経し奉納したと伝わっている神社。
 

明光寺境内には地境争いの五輪塔が残っている。ほどなく伊奈一里塚跡があり、日本橋からは七十五里目。
 

県道496号線はひたすらまっすぐ、車通りも多く歩道がないので苦しい。街道が遮断されて凹に曲がる道は草ぼうぼう。


国府(こう)駅近くになると真っ赤な名鉄線を間近に見ることができます。思わず撮り鉄になってしまった。
 

火伏の半僧坊大権現祠、三河国府の総鎮守大社神社、御油一里塚(七十六里目)と続きます。
  

御油追分(秋葉道追分)は姫街道(浜名湖の北側を通り見付に至る道)との分岐点。常夜燈と姫街道の看板がある。
 

御油という名前は古くは油を産し、御所などに献納したことに由来する。問屋場跡を過ぎ、御油松並木資料館へ。
入り口には大きな松の切り株があり、御油宿に関する資料が展示されている。
 

松並木資料館を出てすぐ、和菓子屋さん「おふく」の看板にさそわれた。ひな祭りに供えられる「いがまんじゅう」。
この時期にしかないらしい。甘さ控えめでおいしい、3つくらいは軽くいけそう。
 

お腹もちょっと満たされて御油松並木へ。樹齢三百年以上の三河黒松が三百本もあり国天然記念物。弥次・喜多
さんはこの松並木で狐に化かされたとか。そばにある畑の梅の花も見頃を迎えていました。
 

御油からたった2㎞で次の宿場赤坂に到着。本陣、大橋屋、高札場跡と続きます。大橋屋は慶安2年(1649)
創業。広重の絵のモデルとなった。現在も宿泊できますよ。
  

国道1号に出るとまた変化のない道を真っ直ぐ。豊川市から岡崎市に入りました。


市境を過ぎるとすぐ本宿記念碑があります。本宿は法蔵寺の門前町で間の宿として栄えた。立場茶屋があり溜り
醤油で味付けされた法蔵寺だんごが名物だった。
 

大宝元年(701)年行基の創建で、家康が幼い頃を過ごした法蔵寺。徳川家の先祖松平一族の墓やや新撰組局長
近藤勇の首塚などがある。見所が多いのに、お腹がすいて境内に入る気力がなく、道沿いからの写真のみ。
 

14:00本宿駅そばでやっと喫茶店を発見。みそかつ定食をいただきました。ありがたや~。


いよいよ藤川宿に入ります。広重の絵とそっくりな景色!
 

藤川宿東口の東棒鼻跡、裏手に石垣の残る本陣跡、高札場跡と続きます。
    

十王堂芭蕉句碑や藤川松並木などもある。藤川一里塚で日本橋から七十九里目。ずいぶん歩いてきたな~。
 

藤川宿から約2㎞、名鉄美合駅が本日の終点。16:00やっと到着。本日の歩行距離約26,5㎞。岡崎市にある
葵湯で汗を流しました。帰りはいつもの御在所SAで吉平ラーメンをいただいて帰りました。しょうゆ豚骨あっさり
味でおいしかったです。
 

今回は舞阪、新居、白須賀、二川、吉田、御油、赤坂、藤川と進みました。今回は変化のない国道1号と車の多く歩道
のない幹線道路が多くつらかった。また吉田宿あたりは太平洋戦争の空襲で焼けてしまって史跡が少なく、看板だけの
ところもあります。史跡が残るというのは平和の象徴だなあと改めて感じた。食事場所はあるところにはたくさんあり、
ないところは全然ない。非常食の携帯が必須だと感じました。いよいよ次回は尾張國に入ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする