今まで、自分の中で見ようとしてなかった部分、
気付かずに放って置いた部分を見ようと、ずっとやってきた。
そんな部分は大概が、反省すべき自分の弱点であり欠点で
毎回、同じ事繰り返してるなぁ、
まったく、ホント情けないよなぁ、と落ち込むことの繰り返しだった。
先日もあった。
父から電話があって、宅配注文した
「冷凍ちゃんぽんの作り方がわからない」と言って来た。
どういう状態で届いているのかも解らないので
「袋に書いてあるんじゃない?」と聞くと
「何も書いてない」という返事。
一般的な作り方を説明したが、そんな感じでもないらしい。
よくわからないので「今日はもう遅いから、明日そちらにいくから」と言うと
「もう袋を開けたから、自分の感で今日作って食べる」とのこと。
結局、どうにかして食べたらしいけど
翌日実家に行って確認したら、
冷凍室に入れてたちゃんぽんの袋にちゃんと書いてあった。
袋の中には、いくつか小袋で分けられた麺とスープが入ってて
その小袋が透明で何も書いてなく、それを見て父が言ったみたいだった。
私は父にその袋を見せて、「ちゃんと書いてあるよ」と説明した。
父は納得したみたいで、まったくなーと思っていたら
その後に私も同じような事をしていた。
食事してバスで帰ろうと時刻表を見てバス停に行ったら
その時間のバスが無かった。
あれ?おかしいな?と思って持ってた時刻表をよく見たら
平日と間違えて見ていて、休日はない時間のバスだった。
~(>_<。)~ アチャ~
次のバスは40分待ちだよ…。
どうすっかなー…
そうだ、下のバスがあるんじゃない?
あった、あった、急いで行けば、まだ間に合うぞ♪
結局間に合ったけど、バスに乗る時に思ったんだよね。
まったくなー、自分も同じじゃん。
ホント相手(父)は鏡なんだなぁ…。
人の事言えないよなー。
しかも前回も同じ事していたし…。
そう思って何度も繰り返してる「確認不足」の欠点に
凄く落ち込んでた。
つくづく、自分って本当にダメだなぁ…って落ち込んだのね。
そんな時に、コメントで「逆のパターンもある」という言葉を貰いました。
「想いでやりつづけて気がついたら身についてたという事もある」と。
その言葉を聞いて、そうかバランスが大事なんだなと思ったのです。
反省すると、ずっと負の連鎖のように反省することばっかり続いて
もう、とことん落ち込んで行き、気持ちが暗くなる。
それも実は「地獄」の一部に過ぎないのかなと。
もう、ダメな自分ばっかり見えてきて、そこから抜け出せないみたいな。
それが苦しくてそこを見ないようになるんだろうなと思いました。
それが現実逃避に繋がって行ったのかなと。
だけど逃げないでずっと自分の欠点を見続けるのも辛い。
たがらバランスなのかなって感じました。
私は本当になんでも「形」を見て始める方だったので
心が先にあってという事は少ないのだけど
でも、全然ない訳ではないと思う。
このブログを始めた時だって「心」が先にあって始めた。
途中の道筋は間違っていたかもしれないけど、それもプロセスであって
結果的に大事な事に気付けたのなら、意味があったと思う。
そして、結果的にいろんなことも学んだ。
これが「逆のパターン」なのかなと思った。
そういう自分で気付いてないけど、最初に心があって動いた事は
誰にでも何かあるはずだから、そこを見ていく事が大事なんだなと思った。
どちらかばかりでは偏ってしまう。
良い方ばかり見ても、悪い方ばかり見ても良くない。
だからバランスが大事で、両方見て行くことが大切なのかなと。
自分の悪い繰り返している部分と、自分で気付かずに身に付いた部分と
両方見ていく事で、心のバランスがとれていくような気がした。
それでいろいろと考えていたら、辿り着いたことがある。
どちらも自分の中にあるものだということに。
ただ気付いてないだけ。
そこを見ていないだけ。
なんだね。
だから自分にはない人の長所を羨んだり、マネしたりしても埋まらない。
欠けは欠けのまま。
それを、人を変えて繰り返しても絶対に埋まらない。
整形を繰り返す女性をテレビで見たけど、同じだよね。
人の「あの部分が欲しい」と「創っても」
また、次の「自分にはない人のあの部分」が欲しくなる。
心が一時的に満たされたように感じても、すぐに消える。
だけど、外ではなく自分の中にあるものに「気付く」事で
欠けは埋まる。
もともと自分の中にある部分が、見えてなくて「欠け」ていたんだから。
月の欠けと同じだね。
もともとあるモノなんだよ。
それが暗くて欠けている様に見えるだけ。
光があたれば綺麗に見えてくる。
足りない部分を外に求めていたから「欠け」が埋まらない。
この意味がすこしだけ解った。