気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

おせっかい

2013-03-02 14:54:45 | 日記

お久しぶりの更新です。(;^_^A アセアセ・・・

去年の12月に起きた出来事で当時は不思議だった事が、
今、やっと理解できるようになりました。
解ったというか、繋がっていたんだなと、そんな感じです。

去年の12月に、父の事を
「環境が変わる事を凄く怖がっている」と書いた事がありました。

12月中旬に実家に行った時に、コンビニ振込のガス料金の支払いが
期限を過ぎても払わずに箪笥の上に置いてあったので
私が代わりに支払いに行ったけど、期限切れで受け付けてくれませんでした。

ガス会社に電話して再度発行してくれましたが
2度目の期限はさらに短く、届いてから2~3日の猶予しかないので
また忘れたら大変だと、私が代わりに支払いに行きました。

ガス会社に電話した時に、銀行自動引き落しの書類も送付して貰い
父に「その手続きをしたら振込を忘れることもないので楽だよ」と話したら
「今までとやり方が変わったら解らなくなる」と頑なに拒まれました。
父にとっては今の生活が目いっぱいの状態で、それで1日が回っているから
変化に対応できなくて嫌うのかなと当時は思ってました。

翌月も請求書を目にしたので、父に話して私が帰りに支払いました。

そして2/1に、実家近くに住む親戚から
「父の様子が少し変なのでは?」という電話を貰いました。
卓球の送迎でお世話になっている人から親戚の家に電話があったそうで
いつもと違う様子だったからと心配されてました。

翌日実家に行って父の様子を見ると、やはりいつもとは違ってました。
冷蔵庫には数日前の期限切れの惣菜があふれ山積みで残ったままだし、
食事の際もボーっとして熱燗のお酒をグラスやご飯茶碗に注いでいるし
ボケが進んだかなと驚きました。
熱もあるみたいで風邪かなとも思ったけど、
本人はなんともないと言うし、体温計もどこにあるか解らずで…。

そろそろ一人暮らしは無理な時期なのかな。
そう思って父に、私の家に来るか相談すると、このまま実家に住みたいと言いました。
それで、私が毎日夕食を作りに来るからと言い出して1週間ほど通ってました。

これからは父の為に与えられた現実を逃げずに受け入れようと
定期券も買って、その気でいた時に「ある言葉」を目にしました。

「一番怖いのは相手に尽くして尽くしぬいて、相手の心を依存させ
 その人がいないと生きていけないように仕向けること」

時期が時期だけに、「え(゜○゜)!」と思ったんですね。
私が普段言っていることと、やっている事は違うのかな。
言葉では「自立出来る方向に」と言っていたのに、
やっている事は相手を依存させていることになるのかな…。

未来がある子供だったら解るけど、でも年老いた親は違うと感じてた。
ボケて何も出来なくなった親に自立しろとは言えないと思った。
「親切」と言う字は「親を切る」と書くな…。
でも子供が親の老後の面倒を見るのは当たり前で、心では切れないと思った。

1週間実家に通って感じたことは、父が買い物をしなくなり
出歩かないので歩行が極端に落ちてきた事。
今まではバスで毎日夕食の惣菜を買いに行っていたのに、
バスの乗り方も忘れてしまうのではないかと感じた。
近くの小さな店にも用が無いので行かない。
私が買い物や夕食の準備をするから、父は必要がなくなる。
それは本当に父の為になっているのだろうか?

そんな事を考えていたら
ふと、実家で自分がやっていた行動が浮かんできだ。

父が困らないようにと先走って、頼まれもしないのに補充していた。
仏壇の線香も残り少なくなっていたので
家にあった線香を持って行こうと準備していた。

その行為を自分で見て、気付いた。
私がやっていることは「余計なお節介」だったと。
先走ってやる行為は、相手の為にはなってない。
相手が何も考えなくなる状況を、私自身が作り出していた。

別に線香が切れたからと言って、大変な状況になるわけではない。
何も変わりはないのだ。
父が思い出した時に自分で買いに行けばいいだけの事で
それが「自分で考える」事に繋がる。
線香をあげる習慣を忘れたら、それも敢えて忘れる様になっていると思えた。
そこから「離れる」準備をしているのかもしれないなと。

これは酒でも感じた。
あんなに好きだったお酒を飲む事を「忘れている」ことがたまにある。
これも酒から「離れる」準備かなと思えた。
案外、「ボケる」ことは、
正しい方向に軌道修正していく準備をしているのかもしれない。

だから父がやることに何も口出しをせずに
遠くから見ていたらいいのかなと解った。
言われたらやる。
それまでは気付いてもそのままにしておこうと思った。
ガス料金の支払い用紙も箪笥の上に乗ったままだったが
今回はそのまま置いて様子を見る事にした。

実家通いを止めようかなと思っていた時に、
父から電話があり話しをしてて「咳」が出てきた。
風邪でもなく、熱もないけど、なぜが「咳」が出てくる。
父は私が風邪を引いたと思って心配していた。
私は良い機会だからと「用心して実家にはいかない」事にした。
一日休んで、父の様子を見てみようと思った。

翌日、実家に行ったらいつもと違う「しっかりした父」の姿があった。
前日は近くのスーパーで惣菜を買ったらしい。
私が風邪で来れないので自分がしっかりしなくてはと思ったのか
ちょっと遠いコンビニまで歩いてガス料金を支払いに行ってた。
その帰りにタクシーで生協まで買い物にも行ってた。

ガス料金の支払いと、タクシーに乗っての買い物を
数か月振りに一人でやった事が、凄い驚きだった。
やればできる事を、わたしのお節介で出来なくしていた。
やはり私が毎日通う事は、父の自立を邪魔していると思った。
父の様態も前の状態に戻りつつあった。
案外、風邪で朦朧としていたのかもしれない。

自分で身の回りの事が出来るうちは、やった方がいい。
そう思えたので、その日父に言った。
毎日通うと言ったけど、やはり父の為にも、私の為にもならないから
これまで通り、時々来ることにするよと。
心の中で、親に対する依存を切った感じがしていた。

親の様子を心配して会いに来るけど、見守る感じ。
余計な事をせずに見守る。
しばらくはそうしながら、父の様子を見て行こうと思った。

咳が出て父から電話があった日に、私の家の冷蔵庫を開けたらカラだった。
毎日実家で食事していたから、食べるのもが何もなかった。
その時、思ったのよね。
あー、自分の中心はこの家なのに、その場所をないがしろにしちゃいけないって。
本末転倒、本当に風邪だったら状態がさらに悪くなるって。
自分のことがちゃんと出来て身の回りが安定してたら、周りも余裕をもって見れる。

だからその事に気付けたこの「実家での1週間」は、私にとってとても貴重な経験だった。
一か月様子を見ていたが、父も以前と同じように出来るようになった。

そして12月の出来事も、私の方に問題があったと解った。
父が「環境が変わる事を凄く怖がっている」のではなく、
私の余計なお節介が、父の自立を妨げていたということに気付けた。
「あー、問題があるのは自分の方だったな」って凄く理解出来た。

コメント (2)
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