先月下旬に、友人から手紙が届いた。
彼女は仏教系の新興宗教へ私を誘った人で
封筒は何かが入っているのか中身が膨らんでいた。
その新興宗教は数年前に脱退したので、
どこかの旅行のお土産でも送ってくれたのかなと思って開けたら
脱退したはずの宗教団体のお守りと小物が入ってた。
お守りは私と父の分で2枚入ってた。
ビックリして困ったな…と思った。
どうやら私を心配して、彼女が良かれと思って送ってくれたようだ。
2010年に自分で脱退届を出しに行き、
彼女にもその事を手紙に書いて送った。
それ以来、彼女から手紙が来ることはなく、私も出していなかった。
でも、彼女の事が気になっていた。
脱退しても大丈夫だからという姿を彼女に見てもらいたくて
このブログのアドレスも手紙に書いて知らせた。
彼女の気持ちは有り難いが、私には必要がないモノなので
申し訳ないけど処分する事にした。
でも、思った。
なぜ、今頃?
とっくに宗教とは縁が切れてたと思っていたのに…。
父と私の2枚というのが気になった。
このお守りは、節分の護摩たき後に送られる。
もしかして2月の父の異変も関わりがあるのだろうか?
問題は、彼女が何故私に送ろうと思ったのか
その原因となるモノを私が書いていたからではないかと思った。
多分、彼女もここを見てくれていたのだと思う。
お守りの申し込み期限は、多分前年の11月か12月頃だと思う。
その頃、私は何を書いてた?
彼女が心配するような事を書いてなかったか?
振り返ったら、思い当たる出来事があった。
前に別の友人を凄く心配させた事がある。
自分の闇を見つめて客観的に書いたつもりだったけど
ネットが切れて暫く更新できなかった事もあり
逆に友人を眠れない程、心配させてしまった。
もしかしたら、あの記事を見ていたのかもしれない。
そして同じように心配してくれて、お守りを送ろうと思ったのかもしれない。
そうだったら、原因は私に合った。
見ている人を心配させるような記事を書いたから。
自分の闇を見つめて気付いたことをココに書いてきたけど
それはココじゃなくて自分のノートに書けばいい事だった。
それがやっと理解出来た。
同じ事が起きないように、あの記事は削除した。
もっと前向きな事を今後は書いて行こうと思う。
書く事が無ければ、別に書かなくてもいい。
書きたいときに、書こう。
素直にそう思った。