昨日、「最近感動して泣いてない」と書いたら、その後のテレビで久々に泣いた。
再放送の「JIN-仁」で、南方先生が
「自分は厄病神だと思う。 自分がここに来なければ皆出世して
こんな目にあうこともなかった…」と皆の事を思って
仁友堂を終りにしたいと言い出した時、皆が心から先生を引きとめていた。
「人が人を想う気持ち」が、人の心を動かすのだなと思ったら、
ブワーっと涙が出てきた。
ドライアイの目が、ちょっとだけ潤った。
私には、この涙が必要だった。
心の潤いは、やはり「感動の涙」が一番!
実は、同じように前日もテレビで「泣いているシーン」を何度か見ていた。
「妻は、くの一」で、去って行った妻の事を
年上の養子の息子(笑)が悪く言っている時に、彦さんが言った。
お前は織江を知っているか?
お前は織江の顔を見たことがあるか?
織江と言葉を交わした事があるか?
織江の優しさに触れたことがあるか?
織江の底抜けに明るい笑顔を見たことがあるか?
織江の炊いた朝夕の飯を食ったことがあるか?
私は、そのすべてを知っている
その言葉を陰で聞いてた織江が泣いていた
このシーンを見た時は、言葉が心に残ったけど
それでも泣くまでではなかった。
あとで、解った。
ドラマの「年上の養子の息子」は、私でもあった。
見た事もない人の事を、人から聞いた話でレッテルを張っていた。
その人自身を見た事も話した事もないのに、さも自分で知っているような
「そういう人だ」と決めつけて考えてた。
あの言葉は、まさに私に対して言われた言葉でもあった。
自分では見えない「今の自分の姿」を客観的に見る為に、目の前に現れる。
だから「気になった」のだと思う。
何度も似たようなシーンを目にしたり、言葉が気になるのは
やはり今の自分に必要な事だから、見ているのかもしれないね。