昨日録画した朝ドラ見ていたら、ある言葉にハッとした。
「間伐で切られた木が可哀想」と言った子供が「その木が循環している」事を知った時。
私自身がその時問題にぶつかって悶々としていたので、その答えを聞いたような感覚だった。
そうか、循環させれば良いんだと思った瞬間、気分が悪かったムカムカがスーッと消えた。
思考の渦の中に巻き込まれてがんじがらめになっていた自分が、スーッとそこから抜け出して軽くなった感じ。
あー、自分は今渦の中にいたんだなと巻き込まれた自分を別の角度から見ていた。
良くも悪くも事が起こる理由(原因)はちゃんと自分にも一因があって、なぜそれが起きているのかを自分で理解できたらその事は客観視できる。
起こる事自体が良い悪いではなくて、その事を通して過去の自分の思いとか姿を理解出来たのなら、それがあったからこそ変えられる未来なのだ。
間伐された木も、ちゃんと役に立つんだ。
自分の中で捨て去られた思いや本心も、ちゃんとその事に気付いてあげれば自分のこれからに役立つ。
本当は何一つ、無駄な事なんてないんだ。無駄どころか「成長」へと変われる。
それが循環させるという事なのかなと思った。
だけど、思考の渦の中に入ってしまうとそれに気付けない。
前はこうだったから、きっと今度も…というふうに思いこむ。
気が循環できずに澱んでいる。
だけど人はどんな時だって、前と同じではないのだ。
日々、何かを学んで成長している。
欠点、汚点、短所、そういうものが自分の中で多ければ多いほど、それを受け入れられたら成長も大きい。
何も起こらない人生ほど、魂の成長を遅らせれているのではないだろうか。
だから未来は自分で望む方へと変えていけるのだと思う。