私の一番古い記憶での色。
幼馴染と小学校1、2年とも同じクラスで、いつも一緒に居て隣には彼が居ることが当たり前だと思っていた。
小三でクラスが別れて1人になった時、初めて「寂しい」と感じた。
そこから彼を意識しだして好きだった事に気付いた。
1人が寂しい = 彼が好きだった
寂しさの方が最初だった。寂しさを埋める為に彼を求めていた?
1人になったのは私自身に問題があったからではなく、環境の変化で別れたという事。
私が成長する為にあえて1人になる必要があったと、今ならそう思える。
寂しさを埋める為に人を愛する(求める)のではなくて、その『寂しさ』を手放して1人の人間として相手を愛する。
自分で自分を満たし、それができて初めて人を無償の愛で愛する事ができるのかもしれないなと思った。
私が見ていたのはいつも自分の方で相手ではなかった。
だから私は初対面の相手の顔をなぜか覚えられない=相手をちゃんと見ていなかったのかもしれない。
私は人と付き合う事がとても苦手だった。
私の事を昔から知っている友人達とは普通に楽しく付き合えるのに、知らない人にはつい身構えてしまう。
自分の心をうまく出せない。
足りない事が多くて「ありのままの自分」にずっと自信が持てなかったのかもしれない。
人と比べる方ばかり見ていた。
でもありのままの自分を好きになれば良いだけの事だった。
うまく出来なくてもいい。それはそこから成長ができる「伸び代」があるという事だから。
ただ「今のありのままの自分」を認めて、成長を見せていけばいい。
人と比べるから違う事に欠けを感じるけど、同じでなくて良いんだ。
自分自身は最初からオリジナルというパーフェクトで生まれてる。
初めから欠けているものなんてなかったんだ。
足りないのではなく、生きているだけでそれだけで自分にとっては充分に「足りている」状態。
その状態が小さいか大きいかの違いだけで、それは魂の成長の大きさなんだと思う。
生きているという事は、それを限りなく大きくできるチャレンジでもある。
生まれてくる前に、自分は今回の人生で大きく成長するよ♪と自分に超えられる試練(設定)を作って生まれて来ているのかもしれない。
私の色の原点を考えてみて、私が今回の人生でやりたかった事が見えてきた。
「寂しさ」を手放して、自分自身を満たし、ちゃんと無償の愛を育てる事。
多分、それをやろうと望んで生まれて来たのではないかな。☺️
昔からなぜか計算高いというか損得勘定で動いていた自分がいることに気付いていたが、そのサガがやっと納得できた😅
邪念を捨てて、自分自身を満たして大きく育ちなさいと生まれる前の自分が言ってるような気がしてる。