一昨日のことです。
包丁の汚れが気になって洗っていたら誤って指を少し傷つけてしまいました。
その後、切り傷に絆創膏を貼っている時に気付いたのです。
いつも感じる、刃物をみた時のゾワ〜っという感覚の正体を。
私の場合は過去生で誰かに切られたのではなく、ずっと自分で自分を傷付けていたんだなと解りました。
包丁の汚ればかりが気になって、刃先を自分に向けていることに気づかなかったのです。
自分の身は自分で守るものなのにね。見ている方向が違っていました😅
これは「犠牲」というシステムとよく似ていると思います。
上手く説明できないので、ここからは私の脳内劇場で描きます。
あるバスの中で起きた立て篭り事件のシーン。
犯人がナイフを持って乗客の誰かを人質にしようとしています。
周りには妊娠中の女性もいました。
そして頭の中で考えたのです。
この女性には心配している身内がいて、お腹に子供もいる(未来がある)。
かたや私にはそういう身寄りもいないし年も取ってるから先が見えている(自分には未来がない)。
私「おい、犯人。私が人質となろう!」
犯人「誰でもいいから、早く来い!!」
誰かを助ける為に誰かが犠牲になる(自分を犠牲にする)というパターンです。
これは一見、素晴らしい行為に見えますが本当にそうでしょうか?
妄想劇場の私は、自分には未来がないと思ったのです。
そう思う事自体が自分で未来を閉ざしているように感じました。
犠牲になるより先に、自分で自分を救う事を諦めてました。
今の私なら自分と周りが全て救える道を探したいと思います。
でもまず最初に救うのは自分です。そして周りも生かす。
包丁ばかり綺麗にして、自分を救う事を忘れていたら刃先が自分を傷つけるのです。
まず刃先が自分に向いている事に気付き、向きを直して包丁を綺麗にすれば両方綺麗になります。
過去の私は家族の犠牲になる事で、自分の未来が閉ざせれたまま人生が終わってしまうと思ってました。
まさにバスの中の私でした。
でもそんな自分が一番、自分自身を傷つけていたのです。
自分の未来を放棄していたのは家族ではなく、自分のその時の思考だったのです。
でもそれを経験したから、その事に気づけました。
どんな事でも、経験する事で見えてくるものがあります。
それが変化なのだと思います。
自分の欠けは外側が原因で作られたものではなくて、自分の中で作られたもの。
だから欠けを埋めるのも、自分の中で出来るという事ですね。
自分の思いが現実を作っているのなら、思いを変化させれば見えてくる現実も変わってきます。
コロナの不安も外側に焦点を当ててみたらそのままだけど、自分に視点が向いていれば見え方も変わってきます。
自分の好きな事に熱中したら、コロナへの意識も減ってそんなに気にならなくなる。
不安も自分でコントロール出来るんですね。