以前「スズメの戸締り」を見た時に感じていた疑問が、今日何となくだけど解けた。
誰も犠牲になる事なくみんなが幸せになれる未来。
そういう未来は絶対にある。
どうしたらそういう未来へ行けるのか?
それが疑問だった。
そしてその方法が何となくだけどイメージできた。
あの映画の最後の場面を振り返ろう。
閉じ師の草太がダイジンの身代わりで要石にされて常世の世界で凍りついてた。
ミミズの暴走を防ぐ為に要石となった草太の椅子を刺すしかなかったスズメだけど、それが悔いとなっていた。
だから草太のいない世界は考えられないと、スズメが要石になってもいいから草太を救おうとしている姿にダイジンも心を動かされ、自分がまた要石となってもとの状態に戻る事を選択した。
そのダイジンの姿がもの凄く悲しくてモヤモヤしていたんだ。
ダイジンも元は子供で自分が要石となると決めて選んだ道だった。
だけど子供の頃のダイジンはきっといろんな事を体験して見たかったのではないかなと思った。
人を救うよりも自分を救う事を選択したかった心もあったのかもしれない。
やっぱり誰かが犠牲になるのは、誰の為にもならないのではないかなと感じてた。
誰も犠牲になる事なく、みんなが幸せになれる世界。
そういう未来へ行きたいなとずっと思ってた。
でも原因は犠牲ではなかったんだ。
なぜミミズが巨大化して暴走したのか?
ミミズとは何か?
そこを考えたら、何となく理解できた。
「人々が残した想念」がミミズとなって大きな集合体になったのだと思った。
元は個人が残した「小さな想念」。
それがネガティブな想念で引き寄せ合い集まって巨大な塊を作る。
その塊が要石では抑えきれないほど大きくなって、戸を破ってこちらの世界にやってくる。
それが厄災として現れるのではないだろうか?
ミミズの正体は私たちが作った小さなネガティブな想念の塊。
だけどこちらの世界とあちらの世界は戸で閉められているから作った本人はそれに気づかない。
気づかないから放っておかれてどんどん大きくなっていく。
それを要石と閉じ師で抑えようとしても、結局は無理な話で誰も救われないのだと思う。
その世界を変えるには、作った本人それぞれが気付いて自分のミミズを小さくしていくしかないのだ。
だから閉じた戸を開いて、自分で作った想念に気付き、ミミズを小さくして、要石を解放する。
その先に「誰も犠牲にならない、みんなが幸せになる世界」があると思う。
自分の事は自分で出来るよという世界。
依存からの脱却。
それを自分で創造して現実化していく。
そういう世界へ行きたいので、私は色々模索しながら現実創りを実践している最中です。☺️