気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

セルフプロデュース

2022-12-20 13:35:29 | 日記
もうじきクリスマスですね。
という事で、今日はクリスマスについて私なりに理解出来たことを書きます。

なぜ「ホワイトクリスマス」というのだろ?
雪が降ってロマンチックだから?
それは恋人とか家族とか大切な人と過ごしたり思ったりしているから、ロマンチックだと感じるのですよね。
感じる人たちに熱があるから暖かくて雪もすぐに溶かしてしまいます。
逆に1人ぽっちとか、仕事とか、そんな理由で過ごすクリスマスは、心の中に寂しさを運びます。
雪がどんどん降り積もって心も寒くなってきます。
なぜ寒い季節にクリスマスなんだろう?
それは心が寒いと感じる人たちの方が多いからなのではないだろうか?

誰かが作った「クリスマスには大切な人と過ごす」という固定観念のルール。
幸せな家族とか恋人たちは、大いに楽しんで行事を過ごしてもいいと思うのです。
でもそんな幸せって、永遠ではないのですよね。
一緒に過ごせない時もいつかは出てきます。
そんな時、幸せだった過去のクリスマスを思って心が暖かくなるでしょうか?
もしその時の自分が幸せだったら、きっとそう思えると思います。
だけど逆の場合が圧倒的に多いのではないのかな。
1人だから寂しい。
だからクリスマスの時期になると誰かと一緒に過ごしたくなる。
それは自分の寂しさを誰かといる事で紛らわそうとしているに過ぎない。

よく考えてください。
なぜ「決められた日」だけが特別なのでしょうか?
主体は「日」なのでしょうか?
あくまでも主体は「自分」ですよね。
自分の人生は自分が主役です。
誰かが作ったルールに従うのではなくて、自分が作るルールで楽しむ。
それがセルフプロデュースだと思うのです。

そんな感じでホワイトクリスマスを見てください。
これまでの「特定日の行事」が主体だったクリスマスだと。。。
寒いから気温が下がる。
気温が下がって、雨が雪になる。
粉雪まではロマンチックかもしれない。
やがて風で渦が出来て吹雪となる。
ここまで来たら、視界ゼロです。

これを「人の心」に例えて見てみると。。。
寒い季節は心も寒くて体の気温も下がる。
「誰かが作った特定日の行事」をTVや街中、至る所で目にするようになる。
心に降る雨が、やがて雪となる。
幸せそうな人たちと孤独な自分を比べて、心に隙間風が吹く。
その風は同じ境遇の人たちの風を呼び、渦となって吹雪となる。
暗闇で見える未来も見えなくなってくる。

ここで主体を特定日から「自分」に変えてみましょう。
遠くから「この流れの中にいる自分」を見るのです。
今自分はどこにいる?
もしこの無限ループの渦の流れの中にいたのなら、そこから出るだけです。
なんだ。自分は誰かが作ったルールに従って動かされていただけなのか!
目を覚まして、自分で新しい楽しみを作ればいいだけです。
寂しさを手放せないなら、25日は自分の好きなものを食べたり、買ったり。
そんな自分へのプレゼントを渡す日にして楽しんだら嬉しさも芽生えてきます。
幸せだな。有難いな。
そんな気持ちがどんどん増えていったら、寂しさも小さくなると思います。
どこにいても基本は「心を暖かく」です。
そう感じられる自分をたくさんプロデュースしていく。

現在進行形で私もこれをやってます。
やってみて感じた事は、大きな視点で自分の姿を見れるようになりました。
クリスマスの渦も抜け出ることが出来ました。
ずっと「何故?」と思っていた事に対しての「理解」も増えてます。
同時に「美味しい」とか「楽しい」とか「嬉しい」という感情も増えてます😊 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実は、過去の自分が選択した未来

2022-12-16 12:37:03 | 日記
先日「すずめの戸締り」を観た。
観終わって感じた「違和感」がずっと残ってた。
迫り来る災いから大勢を守る為に誰か1人が犠牲になる仕組み。
それってキリストみたいだなーと思いながら見てた。
それじゃない。私はその未来は選びたくない。
みんなの幸せが誰か1人の悲しみの犠牲で成り立つ世界なんて悲し過ぎる。
みんなが笑顔になれる世界は絶対にあるはずなんだよ。
でも、あのまま見ているだけでは確実に災いは広がっていく。
どうする?
私の基本は「気持ちに蓋をしない」という考え。
だけど蓋をしないとミミズが世界を覆っていく。
うーん。。。

翌朝、夢を見た。
蛇がたくさん井戸みたいな所から出ていた。
私は慌てて井戸の上に木の蓋をしていた!
蛇が出てこないように上から押さえ込んでいた。

近くにいた男性の近くにも井戸があって蛇が出てきていた。
それを笑って面白がってみていたので、私は「蛇は毒を持っているから噛まれると危険だよ」とその男性に話していた。
しかし男性はお構いなしで見てて、案の定蛇に噛まれて倒れた。
あーあ、言わんこっちゃない・・・
自業自得だよと思ってみていた。

起きて思った。
「(気持ちに)蓋をしたくない」と思っているのに、夢の中で井戸に蓋をしていた・・・
夢の中の蛇は「蛇(邪)念」だよね。
映画の中のミミズも、人々が残した土地に溜まった陰の気だと思える。
蛇とミミズは形も似てる。

映画のミミズは「人のマイナス感情」によって引き寄せられて大きくなる。
そのマイナス感情集合体は人のマインド次第で変化できるということなんだ。
だから1人の犠牲なんて、本当は必要ないのだ。
一人一人が自分のマイナス感情と向き合ってプラスに変化させたら禍も小さくなる。
むしろ自分にしか出来ない事を、コツコツとやるだけなんだ。
誰か(犠牲とか)に頼るのではなくて、自分で出来る事。
自分にしか出来ない事なんだ。

最初、夢の中の私は「自分の邪念が出てくる」事に蓋をしているのか?とも思えた。
でも蛇が出てくると命の危険があるからと蓋をしていた。
つまり噛まれて倒れないように、自分に出来る事をやっていたのだ。
邪念に負けて本心が隠れてしまわないように、邪念が大きくならないようにと蓋をしていた。
それが自分の邪念と向き合って小さくしていく気づきの日々なんだ。
蓋はしていたけど鍵はロックしてはいなかった。
マイナス感情も自由なんだよ。
マイナスの力が大きくなればミミズとなって、また外に出てくる。
マイナスをコントロールするのではなくて、意思は尊重する。
状況を理解する事で変化する事、たくさんあるからね。
理解した上で自分に出来る事をやる。
それでミミズも変化していくのではないだろうか?
そんな風に思えた。

それで一つ分かった出来ごとがあった。
ずっと不思議だった「三角関係」がやってくる因縁。
先日もその状況がやってきたのだ。
頼みもしないのに(苦笑)
いつもだったら先走って相手の感情を考えていた。
ワザとなの?偶然なの?どっち!
なんて風に「なんで、また?」というのが大きくなっていた。
でもこれは私が引き寄せた現実なの?と考えたら理解できた。
別のある場面での私の行動にヒントがあった。

新しい財布を探していて、ずっと店を回っているけどなかなか欲しいのがない。
うーん、これは手触りがちょっと硬いかなとか、色がもう少し柔らかいのが良いかなとか。
それで友人が見つけてくれた財布が見た中では1番フィットしてた。
でも私の中での「これが欲しかったの!」ではなくて、今の時点ではコレなのかな。。。という感覚。
そして買った後に「もっと自分にフィットする」ものに後で出会うという感覚。
これって三角関係と似てるね。
つまりそういう状況を自分で作って、自分で似た状況を引き寄せていたに過ぎなかった。
原因は無意識で邪念を選んでしまう、私の選択にあった。

私の色の因縁が「寂しさ」からきていた事。
つまり私は寂しさから逃れたくて、妥協して選んでいた。
いろんなモノを選択する基準が「得られない寂しさ」からきていた。
そこをまずちゃんと見なくちゃいけないね。
そこに蓋はしたくない。
もしかしたら邪念は本心と同じなのかもしれない。
本心が私に「本当のあなたの気持ちはどうなの?」と問うているようにも感じる。
私はその都度「どうしたいのか」を、私自身が気付いてなかった。
「そこをちゃんと見て感じて考えて選択しよう」と強く思った。

私に出来る「犠牲を作らない世界」がここにある。
本当に欲しいと思える「気持ち」を大切にする。
日々の日常のいろんな選択で、好きな気持ちを優先して選ぶ。
買い物も「お得感」とか「手頃」を選ばずに、それが好きだから選ぶ。
それが食べたいから選ぶ。
それが着たいから選ぶ。
気持ちを優先して行動する。
そこをコツコツとやっていけば、きっと周りに笑顔が溢れていると思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする