気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

香椎宮と古宮

2024-12-07 15:34:16 | 日記
明日からまた忙しくなるので、福岡旅の記録を書き終えたいと思います。
12/1は、前回通り過ぎて寄れなかった香椎宮へ行きました。
日曜で大安だから今日も渋滞かなー?と思ったのですが、行ってみないと判らない。
呼ばれているなら行けるだろうと再度車で挑戦しました。
渋滞はなくスムーズに行けたのですが、今回も駐車場を通り過ぎてしまいました。
通り過ぎてすぐに気付いたので、次の角をグルグル回って近くへ戻って来ました。
今度は間違えないようにしないとと思っていたら、前の車が案内してくれるかのように曲がったので、スムーズに寄ることができました。


七五三詣りと結婚式の花嫁、花婿さんも見ることが出来ました。
香椎宮は「夫婦の宮」で仲哀天皇と神功皇后を祀る神社です。
実は仲哀天皇が何故か気になっていたんですよ。
で、気になったら行ってみよう!です(笑)

この神社の狛犬さん、お顔が小さくて驚きました。


御神木の「綾杉」です。

最初にお参りしたのが「鶏石神社」と稲荷神社。
この鶏石神社の「修理個成お守り」を購入しました。
「つくりかためなおせ」とも読むそうです。
念願だった諸事万端がいよいよ成就するご利益があると言われているそうです。
「理を直して固めて成せ」と解釈し、自分の現実創造のお守りにします🤭

途中で素敵なものを見つけました🎶
新芽ですよ❣️
しかも折れた木の幹から芽吹いてます🌱
「どんな状況であっても「自分で芽を出す」と意識したら芽は出るんだよ🌱
そんなメッセージを受け取りました😊 

奥の山にある「香椎宮 古宮」へ。

静かな場所にありました。

仲哀天皇の政策は、大偉業だったそうです。
沙庭=審神者ですかね?
沙庭(さにわ) 神を招いて、お告げを聞く清浄な場所。
「常に沙庭を樹て神教を乞請された聖地である」
沙庭が国史に現れたのはこの地が最初だそうです。
御神木

奥に続く道を進むと、仲哀天皇大本営がありました。

仲哀天皇さんが気になった理由は、宮地嶽神社の御本殿跡と重なったからです。
どちらもメインは神功皇后さんが表で活躍されてます。
なので、どんな方だったのだろうか?と気になったのです。
行ってみて感じたのは、先人たちが歩いて残してくれた道の上に「今」がある。
だから感謝しかないんだなと思い、手を合わせて「ありがとうございます」と伝えました。
帰ろうとしたら、何故か体が重い・・・
霊感体質ではなくても、多少の重さは感じます。
軽やかには歩けないような感覚。
あれ?もしかして、上に行けないでいるのかな?
私に乗っかってるのかな??
そんな気がして「天にお返しします❣️」と両手を天にあげて、逆を向いて太陽の光を両手で仰いだら、軽くなりました。
いや、気のせいかも知れません(笑)
なんとなくやったポーズですから😆
それで太陽の光を両手で仰いでいるポーズで、大国主さんを思い出して笑ってしまいました。
もしかしたらあのポーズも太陽を仰いでいたのかな?と調べたら。。。
「その先には波に乗った玉(「幸魂」「奇魂」)があり、それを頂くワンシーンを表している」とのこと。
そうか!
私も玉を頂いていたのかも!
だから身体が軽くなったのかなーと納得しました。

帰りにもう一ヶ所寄ったのがこちらです。

武内宿禰さん、謎なのですが光が当たってました。
空にも細長い龍雲?が出てました。
この不老水を蜂が守ってました。

可憐な花が心を和ませてくれます😊 

武内神社に寄ったら光が出てました。

緑と赤の光でした。
藤棚もあります。

この写真が凄く気になる。。。
大人と子供?
スクナビコさん??
巨人?
面白いなー(笑)

紅葉がとても綺麗でした。
金色の葉っぱ🍁

そうそう、香椎宮で引いた御神籤が。。。
「第一番 大吉」でした。
なんと、幣立神宮と壱岐の月読神社と同じ「1番 大吉」でした❣️




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喜びの波動

2024-12-06 11:09:52 | 日記
今朝のオラクルカードで「犠牲」が出ました。
ここ数日で気になるワードだったので、やはりそこを見ろって事でした。😅
⚫︎本質
「犠牲にする」という意味の英語sacrificeは「神聖にする(make sacrede)」が語源です。
犠牲は心からの感謝を示す供物であり、精霊のために用意した愛の祝宴なのです。
昔はいけにえとして、神々に血を捧げる儀式を伴う場合もありました。
たとえば旧約聖書のヤハウェ(神)は、カインが供えた野菜と果物よりも、アベルが犠牲にした子羊の方を選んでいます。
けれども中米では、夜明けの神ケツァルコアトルがやって来て、精霊は人間や動物の血よりも私たちの歌と祈りを好むことを教えてくれました

実は私の現実世界でも不思議な?現象が起きました。
一昨日の前記事を書いている途中での出来事でした。
本家が分家に分かれて、流れが分家に行ってしまったみたいな?
本家は誰も知らないまま通り過ぎていくという状態が切なくなったのですが、別の意味では隠されて現代まで守られて来たのかな?とも思えて、そう書いたのです。
すると突然「ガチャーン」と大きな音がしました。
見ると寝室の壁にかけてあった「金龍さんの絵」の額縁が下に落ちて、その下に飾ってた「竪琴を持った天使さんオルゴールの羽」にあたり、取れてしまいました😨 

金龍さんが落ちて、天使の羽が取れた・・・
「疑心をぬぐい いつわりの我が身に 挑むとき」と書いてあります。
これは過去に落ちた時の状況を見せてくれてもいますね。
同じことを繰り返すな、別の可能性を探れ?
私の今の疑心をぬぐい、手放す時と?

そして割れた羽のカケラを掃除しようと、置き台を動かしたら・・・
ホコリにまみれて落ちてた「pleasure」「09 02」のリストバンドを発見。
これに気づく為に、起きた一連の現象だったのでしょうか。。。
ホコリを落として綺麗に洗って太陽の光を浴びて、自分の喜びを取り戻す。

そして今日のカードです。
そうか、「犠牲」も「守る・守られる」も、同じ事なんだと理解しました。
92=国を守る為の犠牲も、本質は違うところにある。
自分の喜びを捧げる=自分が喜びを感じて、その感覚を神に捧げるという両者の喜び。
本来はそれだったけど、分離が始まって自分と神との間に壁ができた。
自分の内側にある「神聖の神」が、どんどん見えなくなって分離した。
だから解釈も違ってくる訳で「外側への神」への捧げ物になってしまったのかな。

今外側で起きているあらゆる問題も、自分の内側を喜びに変えることで変化してくると思った。
1人でも大きく変わる。たくさん変わると「とんでもなく変わる」。
そうか!心からの喜びの波動が、次元をシフトさせるのかな😆 


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真っ直ぐな光

2024-12-03 13:04:35 | 日記
旅の続きです。
11/30はお天気も良く、この日に泊まる新たな宿も決めました。
the 358 Soraのホテルです。
前回はumiだったので、今回は「前と同じ」を変えようと意識的にsoraにしました。
358というのもアカシックの記憶と関係してそうで、今かなと🤭

途中で、行きたかった宮地嶽神社に寄りました。
木々が光に当たって心地良いです。


最初に向かったのは階段から真っ直ぐの位置にある「宮地嶽神社・御本殿跡」です。
幹から真っ直ぐに中心の木が太く伸びてます。
ブログを書いてて、ようやくこのメッセージが理解できました。
「自分の本心(魂)へと戻る道を見つけ、そこから真っ直ぐに光の道を照らせ」

実は参道を通る人々が、ここの存在には気づかずに通り過ぎているのを見て「切なく」なっていたのです。
でも違いました。
それは「自分の心の声に気づかない」のと同じ亊だったと。。。
人に「気づいて!」ではなくて、自分が自分の魂の声に気づくこと。
そして曲がった邪念(エゴ)が自らの中にある事に気づいて、そこを正して、真っ直ぐに太く光を伸ばして、突き抜ける。
それが光の道なんだなと理解しました。

横には藤棚がありました。
藤=富士、古い神様で、もしかしたら最初の神様かもしれません。
本殿跡?らしき広場には「松ぼっくり」がたくさん落ちてました。

今回の手水舎は、赤が目立ちました。
赤と黄色の玉に、もみじの緑、紅白が融合したカーネーションに、白い石。。。
水が綺麗に浄化しながら循環してました。
前回が青で、今回は赤がテーマですかね。
太陽みたいな暖かい愛の心へと変化してねって言ってます?(笑)

前回は見逃していた「フクロウさん」にも会いました。
首を180度回して右と左をバランスよく見てました。
これもメッセージですね😅

続いて「奥の宮八社めぐり」へ。

最初の七福神社では、紅葉が綺麗でした。

三番社の不動神社では興味深い事が書かれてました。
「長大な横穴式石室古墳の中に霊験新たかなる不動尊をおまつりしております。
 この古墳は地下の正倉院とまで言われ・・・・」
正倉院を調べたら「比喩表現でも使われている事があり、例えば沖ノ島は「海の正倉院」、高野山霊宝館は「山の正倉院」、春日大社は「平安の正倉院」、国宝の平城宮跡出土木簡は「地下の正倉院」と呼称される事がある」
なんとなく、関連したものがあるように感じました。

そして五番社の淡嶋神社と六番社の濡髪大明神の「恋の宮」。
ん?
これはグーグルマップから開いた情報ですが、何故か「水神社」がありません。
グーグルで調べた宮地嶽神社のサイトには「恋の宮」が五番社で、「水神社」が七番社」とあります。
こちらを参考に五番社の「恋の宮」。

六番社の三宝荒神  かまど、荒々しい火の神様
隣の横から撮った写真ですが、鳥は鶴?さぎ?
調べたら「コウノトリ」みたいですね。
三宝とは「水・土・火」とも言われているそうです。
私はお風呂場で「水さん、火さん、土さん、空気さん、ありがとう」と言って感謝してます。
風がないのは何故なのでしょうか?
むむむ。。。

七番社の水神社は、今でも枯れる事なく水がコンコンと湧いているそうです。
地下に大きな埋蔵水として流れているとのこと。

八番社の薬師神社をお参りしてから帰りました。
奥の宮は、紅葉がとても綺麗でした。
お参り前に「森のカフェ 燦燦」でランチを頂いたので、帰りはカフェ「時季の音(ときのね)」でコーヒーを飲んでホテルへ向かいました。

旅は続きます。
長くなるので、次回へ。。。


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気付きの旅

2024-12-02 22:09:22 | 日記
11/29から2泊3日で、ドライブ旅行をしてきました。
今回も気になった場所を車で訪れる旅です。
Googleマップを見ていて気になったのが、前回行った「宮地嶽神社」でした。
前回行った時に最初に気になった場所で、その時に写真を撮ってました。
この木の辺りが気になり小さな鳥居もあるけど、何も書かれてません。
よく解らないまま前回はそのまま通り過ぎました。

今回グーグルマップに「宮地嶽神社・御本殿跡」というのが目につき、押してみたら「建物の真後ろに立派な鳥居が立っていた」というコメントを見つけて、この写真は「御本殿跡」の御神木なのでは?と思いました。
地図で見ると、御本殿跡から真っ直ぐに光の道が通ってます。
やっぱりそうですよね、こちらが古い御本殿跡です。
前回訪れた時は階段から左に曲がって御本殿があって、何か違和感を感じてました。
なので今回は、こちらの御本殿跡と奥の宮八社巡りもしていなかったので、再度お参りの旅です。

29日は雨が降っていたのでお参りは30日にする事にして、まっすぐ宿泊施設の宗像まで向かいました。
途中糸島で昼食を取り、下道で向かっていたらナビが左を指示しました。
まっすぐ向かった方が早いので先へと進んでいたら後ろから救急車が来て、進行方向の道路で止まってしまいました。
前を塞がれ、右は車が多くて車線変更できずに、否応なく左に曲がるしかなく・・・
これは何か遠回りしてでも案内したい場所があるのだろうか?と気づき、ナビに従いました。
途中「生の松原」を通り、素敵な松原風景に心が癒されました。
なんと読むの?と看板を見たら「ikino Matsubara」と書いてありました。
その後に壱岐橋を通り、生は壱岐なんだと納得。

そして宿の宗像リゾートホテルへ到着しました。
このホテルは夕日の景色が素晴らしいのと、経営再建に向けて元気に営業中という言葉に力になればと思って予約を入れました。
しかし訪れてみると相当ガタがきている建物です。
潮風で赤錆が凄いし、風も突風が凄いのは予想外でした。
通された部屋はグレードアップしてくれた1001号室という10階の1番端でした。
外廊下なので突風が凄いし、通り廊下からは階下が丸見えで怖かったです。
一日中風の音が凄くて、ベランダの鉄柱も風て揺れてて、癒しとは程遠い部屋でした。
でも景色は凄かったです。
自然の風と波を堪能し、幻想的な夕陽も堪能できました。

こちらは朝の景色。

しかし翌日の朝食で問題が発生しました。
指定時間に店へ行っても誰も出てこないし、呼び鈴も反応ない。
夕食の時には食事が入ったトレーがあったのですが、朝は何もない。
え!?もしかして用意されてないの??
奥の方を見たら男性が1人いて、テーブルに座って携帯を見ている。
店の担当者?お客さん??
私が目に入っていると思うけど反応がないのでお客さんかなと諦めて部屋へ戻りました。
電話で聞いてみようかと内線を押すけど、通じない。
空気清浄機の電気も電話も不通が多い部屋でした。
2泊の予定で予約を入れていたけど、これでは全然心が満たされないので、お金は戻らないけど1泊をキャンセルして部屋を出る事にしました。
ドアを開けると同時に、隣の部屋からも髭を生やした年配男性が出てきて、私の前を歩いてました。
隣の部屋はたくさんのシャンプー類が廊下から見えたり、ベランダもたくさんの鉢植えとか置いてあって、住み込み?オーナーさん?みたいでした。
受付に人が居ないのでメモ書きと鍵を置いたら「巡回中なので電話してください」と看板があります。
その電話番号が、なんというか、とても気になる数字でした。
私の家の電話番号と、ずっと意思疎通ができてない彼に関する数字が並んでました。
不思議な数字だなーと思いながら電話をすると店の男性が出たので、朝食の件を話したら向こうは「居て用意していたけど来ませんでした」と言うのです??
私は行ったけど誰も居ませんでした!と言い返すと、またもや「居ましたけど来ませんでした」と???
こちらも意思疎通が出来てません・・・
言い張るだけなので面倒で、一泊キャンセルします、お世話になりましたと言ってホテルを出ました。

そして運転している時に気づいたのです。
あー、どちらも正しかったのかもと。。。
あの時見えてた男性は、やはり店の人でした。
朝食が見えなかったのは、隠れて見えなかった席に用意されていたのかなと。
実は昨日の夕食の席で私が座ったのが奥の隠れた席だったのです。
そこに今日も座るだろうと思って用意してあったのかもしれません。
でも私にはその席は見えなくて、逆に夕食の時に用意されてたトレーがなかったから私はそこを見ていた。
昨日と同じことを今日もするだろうと、互いが勘違いしていた。
そしてお互いに遠くから「相手が反応して、自分の所に来るのを待っていた」。
だから意思疎通が出来なかったのかと理解できた。
するとあの不思議な電話番号の意味も理解出来ました。
同じだったのです。
互いに「相手が来るのを待っている」から、どちらも「動かない」現実がきてたのかと。
ずっと私に言われている「一歩踏み出す勇気」が、この意味と繋がりました。
そして「前と同じ」を無意識で追っていて、勘違いしていた。
互いに自分の主張を通すだけで、相手の話を聞く余裕もなかった。
彼との距離を縮める和合への道が見えてきました。

旅は不思議ですね。
でも大きな気づきを、いつも与えてくれます。
動いているから、逆に気づけるのかな?

そしてもう一つの気づきもありました。
期待して行ったのに、あの現実が何故来たのだろうか?
心が満たされない部屋を引き寄せていた私の選択って何?と思ったら解りました。
相手を応援をしたい(元気を与えたい)と思って予約した選択が原因だったのです。
自分の心を満たす為の選択ではなかったから、満たすことができなかった。
自分のエネルギーを相手に与えるばかりで、自分には与えないからエネルギーが無くなって電気や電話が不通になる現象が来たんだ。
「外側よりも内側が先」ここは、今回の旅のテーマでもありました。

ホテルの部屋を出た時に隣の部屋から出てきた老人男性の象徴もなんとなく理解できました。
かつて髭を生やしていた父の面影に似ていたのです。
ホテルの部屋は私の部屋を象徴しているように思えました。
電話番号も同じでしたしね。
今は父が残してくれたお金で過ごしているので、部屋のオーナーでもありますよね。
あの部屋では心が満たされていない(自分の中から生み出したお金で生きてないので?)
=ずっと心が動かない私
私が荷物を纏めて部屋から出て行った=父も出てきた(今まで見えなかったけど、姿が見えた)?

これまでのいろんな問題が見えてきました。
私が経済的に自分で生み出せるようになること。
不安でも一歩前に進み出ること。
そこへと導かれているように感じた出来事でした。

旅の続きは長くなるので次回に書きます。

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思い込みを解く

2024-11-28 11:01:23 | 日記
昨日の記事に「自分に最高の喜びをプレゼントしたい」と書きましたが、あれれ?もしかして「最高」という考え方も、分離の方向を見ているのかなと思えました。
だって「最高」があるというのは「最低」もあって、そこから感じる表現ですよね。
感情の波は小さい方が良いのかなと思ったのです。
すぐに中心に戻れるように。。。

分離し始めた頃は「どちら」も経験してみたくて両極に別れて、その状態が「今」ですよね。
そしてどっちも経験したから「どちらかの極み」から「中心へ」変化しようという流れですよね。
今まで最低だと思っていたけど、それ、最高だったよということかもしれません。
それを遡って思いだせということかもしれません。
どっちも経験して、バランスが取れるみたいな感覚。

実は、見方次第で「ひっくり返る」という視点があるのを、昨日経験しました。
マンションの郵便受けに「宅配便の不在連絡票」が入っていたので見ると、「宅配ボックスの7番にお届けしました」とありました。
でも操作すると「荷物は届いていません」とでます。
確かに私の名前が書いてある不在連絡票ですが、宅配ボックスには私の部屋の番号はなく、隣の番号がありました。
部屋番号を間違えて入れたのかな?と思って宅配した人に連絡すると、昨日配達に行ったけど不在で宅配ボックスに入れた記憶はあるから、そこで間違えたのかもということでした。
昨日は雨だったので1日家にいたけど呼び鈴無かったなー?と思いながらも、隣の人に連絡して宅配ボックスを開けてもらいました。
宅配ボックスの暗証番号は、部屋の人が各自で決めるので、他の人は開けられない仕組みです。
隣の人の荷物ではないのに下まで行って開けて貰って、ご迷惑をおかけしますという気持ちでした。
無事に1階で荷物を受け取って私宛を確認し、お礼を言いながらエレベーターで一緒に上がっている時でした。
隣の人が「宛先の住所は、正しいのかな?」とポツリと言ったのです。
私は「そっち?!」と思って確認してみると、なんと隣の番号で書かれてました。
1階で荷物を確認した時、送り主に友人の名前が書いてあったので私宛だと判り、宛先の住所までは見ていなかったのです。
宅配した人との会話ですっかり宅配人の人が間違えてロッカーに入れたと信じきっていました。
いつもの「思い込み」による勘違いでした。
後で宅配した人に、配達は間違ってはいなかったですと電話で謝りました。
だから昨日宅配人さんから呼び鈴がなかったのですね。

で、そこで終わっていたのがこれまでの私でした。
でもふと思ったのです。
これが私の思考が創り出した現実だとしたら、何を私に知らせていたのだろうか?
何に気づく為?
そう考えたら「私の見方が一つしかないという思考」に気づく為でした。
私は宅配人さんとの会話で「宅配人さんが間違えた」と思い込んで、その事実を創り出していました。
過去の「濡れ衣」も、こうして気づかずに勘違いで相手に着せていたのかもしれません。
でも根本の原因は別にあった。
隣人は冷静に「他の可能性」も浮かんでいたから、住所まで気付けた。
しかもエレベーターの中での会話です。
エレベーターは自分の中心軸の上下移動を表していると思います。
上昇するには「現実を受け入れた上で、他の可能性も見る」という視点も大切なんだなと理解しました。
この考えに気づく為に、友人や配達業者さんや隣人が協力してくれて「気付けた現実」があったのです。
私1人では絶対に受け取れないギフトでした。
7番のボックス、福の名前の送り先の友人。
7次元の福を受け取る為のエッセンスが凝縮されている「雛形の現実」に思えました。

これまでの自分の「思い込みによる誤解」に気づいて、そこから福へと反転させる。
喜びの「最低」を「最高」に変換するのも、これと同じように感じました。
どちらの面も見れて、全ての事に「ありがとう」と感謝できます。
誰かが原因を創った訳ではないから、自分の中を見て「見えていなかったこれまでの思い違い」を変換させていく事で、全く新しい現実を創り出せるなと思いました。


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