津市美里町三郷の栗原公民館の裏にある石仏群です。
地区の公民館があるこの場所は、
50年ほど前まで護願寺というお寺があり、
そのお寺の遺物が公民館の裏に残っていました。
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(栗原公民館)
長い年月の間に、これらの石仏群は草と土に埋もれてしまい、
地元の人でもどのようなものがあるのか分からない状態となっていました。
ところが、この秋の大雨で、土手の斜面が崩れてしまい、
石仏群も土砂と一緒に流れ落ちてしまったことから、
11月中旬に、集落で斜面の復旧を兼ねてこれら石仏群を置く台を作り、並べ直しました。
復旧に当たって、苔や土もきれいに洗い落とされ、
石仏などに刻まれた文字も、容易に読めるようになりました。
右の穴倉石に彫られた地蔵さんには「比丘尼」の文字がありました。
この他にも「尼」と彫られた墓石がありましたので、
この場所は、ここにあったお寺の関係者の墓石などが並んでいたと想像されます。
「享保七壬寅天(1722年)法慈千部塔 三月十八日」と刻まれた自然石、
納経塔の一種だと思われます。
「享保十二年丁未天(1727年) 慧純大法師 閏正月十九日」と刻まれた自然石、
慧純大法師という宗派の偉いお坊さんが来られたことを記念したもの、と思われます。
ということで、文字も判読できてやれやれ、と思ったのですが、
私はとんでもないことに気が付きました。
石に刻まれた江戸時代の享保年間には、
「まだ護願寺は創立されていなかった」のです。
この続きは本編(美里町の探検日記)で、書かせていただくことにします。
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護願寺跡の石仏群(栗原公民館)/美里町の探検日記