美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その3)

2011-08-29 19:20:48 | 津のこと


8月27日、美里町北長野の美里ふるさと資料館で開催された、
松原豊写真集「村の記憶」出版記念トークショーは、
午後1時から午後2時までの1時間の予定が、
来場者も交えて、トークが大いに盛り上がり、
2時間以上のトークショーになりました。

テーマとは少し脱線するのですが、爆笑トークの一部を紹介します。

オクダ「村の記憶でうちの集落(平木)も撮ってもらいました。
 で、あの祭りの写真に写っているみんなが言うんです。
 俺たちは「記憶」になってしまった、って(笑」

ナカモリ「美里というと津から見ると山(長谷山)の向こうの秘境というイメージだった。
 だから僕も若い頃は、家はどこかと聞かれたら、片田のほうですわ、と言っていた」

オクダ「美里の人は、基本的にここが好きで、離れたくないと思っている。
 でも美里を好きだとか一番良いって言う人はいない。
 近所のおばちゃんがうちの娘にね、あんたこんなところに引越してきて、大変やなあって言うんですよ」

マツバラ「最初にヒビコレで音楽のイベントをやったときに、
 近所の人に、入場料取るの?美里でそんなことしても誰も来やへんで、と言われました。
 実際、美里の人はほとんど来ていなかったんですけど」

オクダ「僕も津に住んでいる時は、美里って得体のしれない世界だったかも。
 僕の知っている男で、彼女を自分の両親に紹介するって言うんで
 初めて車で美里に連れてきた。バカだから夜中に連れてきたんです。
 片田から先はもう真っ暗で、だんだん山の中に入って行くし、
 で、彼女、あーもう私は殺されて山の中に捨てられるんだわ、って覚悟したそうですよ」

最後の「美里人の彼と初めて吹上の坂を登った時の恐怖」ですね、
これはうちの嫁も言っていましたし、
PTAなんかで他のお母さんとの間でも
「そうそう、私も初めてのとき、泣きそうなくらい不安になった」
という話がよく出ていたそうです。

結局、
都会の人はもっと美里の良いところを見せてください、
できれば一緒に何かさせてください、って思ってるのに、
美里の人は根底に「こんな田舎じゃ恥ずかしい」って思っているから、
その思いが通じない(理解できない)ってことですね。
これは課題だと思いました。



終了後も、まだまだ盛り上がるマツバラさん、隊長、その他の皆さん。
隊長は、まだまだ喋り足りなさそうで
「今晩、このメンバーで飲みにいきません?」
と言っていました。

それ(飲み会)もまた良しですが、
次はパネリストを全部女性にして、
「美里生まれの美里育ちの女性」「美里にお嫁に来た女性」「美里に移住してきた女性」
を集めてトークショーにしたら、もっと爆笑トークになるかも、
などと思いながら
私は次の現場(子麦まつり)に向かいました。

「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その1)
「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その2)

「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(おまけ)

変わり者からのメッセージ~「村の記憶」から見えたこと~(美里中PTA講演会)


(伊勢新聞)
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早いですね、三重の新米がもう店頭に並んでいました

2011-08-29 14:00:06 | 津のこと


8月27日、津市内のマックスバリュで撮影しました、
株式会社ミエライス(本社:津市庄田町)の
「三重県産あきたこまち(新米)」と、新米入荷ののぼり旗です。

8月下旬より、津市内でも稲刈りが始まったところですが、
獲れたお米が、もう店頭に並んでいます。



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家所子麦まつりが開催されました(その2・ペットボトルロケット)

2011-08-29 10:30:18 | 津のこと


8月27日(土)、美里町家所の家所区民センターで
子麦まつりが開催されました。

午後2時からの工作教室では、ペットボトルロケットを作りました。



ペットボトルロケット工作は、10年くらい前に流行し、
夏休みの工作の定番みたいだったのですが、
最近は、あまり見なくなりましたね。

ペットボトル内に水を入れ、空気入れで圧力をかけると
空気と一緒に水も噴射しながら飛んでいきます。



材料(ペットボトルを2本使用)は手に入っても、
発射台が必要なので、そういう点ではお手軽だと言えないのです。

発射台は、当時は市販されていましたが、
今も売っているのかな、見たことが無いです。

今回は、マスイさんの手造りの発射台を使用しました。



区民センターから、下の辰水小学校グラウンドへ向けて発射しました。

時折り、失速して手前の木の上に落ちてしまい、
枝に引っ掛かって、大人が木の棒を持って取りにいく光景が、何度かありました。



家所子麦まつりが開催されました(その5・マジックショー)

家所子麦まつりが開催されました(その4・かき氷、フランクフルト)

家所子麦まつりが開催されました(その3・流しそうめん)

家所子麦まつりが開催されました(その1・工作教室)
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ファンタ 日本の果実 もも(期間限定)

2011-08-28 21:20:32 | コンビニグルメ


コカコーラ社、ファンタの期間限定商品で
「日本の果実 もも」です。

昔、ファンタに「ピーチ」ってのがあったなあ、
懐かしいなあ、と買ってみました。
あの頃の「ファンタピーチ」は、
もっと透きとおっていたような記憶がありますけどね。

味は、かなり酸味が強いと感じました。

メローイエローが11年ぶりに復刻、6月27日発売(コカコーラ)
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「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その2)

2011-08-28 15:00:10 | 津のこと


8月27日(土)午後1時から、美里町北長野の美里ふるさと資料館で、
松原豊写真集「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました。

参加者は21人、ブログだけのPRでこんなに集まったというのもすごいです。
パネリストと参加者が意見を交わすという意味では、
これくらいの人数が適当だと思いました。

で、トークショーの内容(会議録)については
「むらきお」のホームページで公開するらしいので、
ここでは、私の印象に残ったトークをいくつか紹介することにします。



オクダ「美里村だった頃と比べて、今はどうですか?」
クドウ「津市美里町と住所を書くようになり、格好良くなったと思う。
 合併して、他の地域と美里をいろいろ比べるようになった。どんなイベントをやっているかってね。
 けれど総合支所に地元の職員がいなくなり、行政との関係が薄れたように感じる」
ナカモリ「昔の美里は、誰かがしてくれる、行政がしてくれる、
 そんな感覚でいたし、まつりも行政がやっていて、住民はイベントに来るだけで良かった」
オクダ「そうなんですよ、旧津市の人から見ると、
 美里村では何もかも行政がやってくれることにびっくりしていたみたいです」
ナカモリ「現在は、いろいろな団体グループが、自主的にがんばっている。
 それぞれのリーダーの存在は大きい。リーダーがやると言ったら、みんな付いてくる」
オクダ「ツリーハウスの時は、美里の人に大変お世話になりました。
 リーダーさんらが理解してくれて、いっぱい人を集めてくださった。
 いっぱい来た分、お酒代もいっぱいかかっちゃったけど(笑」



オクダ「サルシカのブログなどを見て、都会の人が
 美里にはカメラマンがいて、家具職人がいて、まさにアーティストの村だって思ってる(笑、
 そんなことはないのだけれど、ただ、美里の人は世代を超えて付き合いをしているし仲が良い、
 観光客や、私たち移住者にも優しい。危機感があまり無いのが欠点だと思いますね」
マツバラ「いろんな人が10人から20人くらいで集まって話をする機会があると良い」
オクダ「で、まずはお酒を飲む(笑、今は本当にお酒を飲まなくなりましたね、
 歩いて帰れば良いような地区の集会でも飲まなくなった、明日仕事があるからと」
クドウ「腹を割って話をすることがなくなったなあ」
オクダ「今ね、イルミネーションもジャンボ干支も市の補助金があるから、
 それでお金を儲けようと思っていないでしょ。でもいつまで補助金が続くか。
 無くなってからどうしようでは遅い、いまからそれを考えて準備することが必要です」
ナカモリ「僕もそう思う。活動している団体はその地域では歓迎されているが、
 他の地域に行って同じことができるかというと、美里はそうではない」
オクダ「美里がひとつになって団結したらもっともっと、何かができると思う」

はい、これが美里の弱いところかもしれません。
昔3つの村だった時代の名残り、というわけでもないのですが、
日常の行事などは地元の人だけでやっているので、他の地区の人と何かをやる機会が無い、
で、村をあげての行事は行政がやってきたので、村をひとつにするノウハウが無い、
ということだと思います。
それに、美里全体をカバーするような組織、商工会とか青年団とか、
そういう旗を振って動かすような組織が無いんです。

隊長が言うように、みんなが元気にがんばっているうちに
何かのしくみを作っておかなければならないと思いました。

(その3)に続く

「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その1)
「村の記憶」出版記念トークショーが開催されました(その3)
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