9年前の今日、2011年3月11日、東北大震災がありました。
震災に合われた方は、その後も大変な毎日でも頑張っていらっしゃると思います。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
しばらくたって、建築士の仲間と東北の現場確認に行ったときは
津波が来てしまったら、
どういう建物を設計しても対応できない、
どうしたらいいのかわからない、という悲壮感だけを感じてしまい
現地で、体調が悪くなったのを覚えています。
鉄筋コンクリート造でも、津波の場合は
屋上に逃げる時間と高さが足りれば良いですが
窓があればそれを突き破って、家中に
大量の水が入ってきて、生存できる確率は低いです。
▲▼木造住宅の基礎だけが残り、あとは全部破壊され、流されてしまいます。
東北大震災発生当時間は、
横浜市からの依頼で耐震診断後の説明に、
木造戸建てのお宅にお伺いしていました。
構造評価点が0.2だったので、
その家の方は、震度4とか5で倒れるのでは?
と心配されていました。
「1980年以前の建物でも当時の基準法を守っていれば
震度4や5で被害は受けても、倒れることはありません。
そこまでは心配しなくて良いのですが
阪神大震災のように震度6以上になると倒壊の可能性が高まります」
とご説明しました。
午後2時から始まった説明が終盤に差し掛かったとき
地震の揺れが通常より大きく、
「外に避難しましょうか?」
と外に出た時、
道路の電柱が、グワングワンと揺れているのが
見えました。
横浜市青葉区は、震度5弱でした。
震度が5から6とひとつ上がれば揺れの体感は
目安として2倍になります。
確かにあのとき体感した2倍の揺れが来たら
あの木造戸建ては、倒壊してもおかしくないくらいの
揺れでした。
私の青葉台の事務所に戻ると、
4人いたスタッフがみんな外に飛び出していました。
鉄筋コンクリート造の3階ですが、揺れが大きく
事務所の中は本棚から落ちた本がいっぱいでした。
すぐに仕事を中止し、全員を帰宅させようと思ったら
電車が動いておらず、復旧の見込みもなさそうだったので
2台の車で分かれて、スタッフの4人を送ることになりました。
国道の渋滞、ガソリンスタンドの閉鎖、信号機の無点灯の中でも
当日、どうにかみんなを送り届けることはできました。
この3月の時期は、完成して引き渡し直前の時期と重なります。
大震災の影響で物流や工業がストップして、
設備機器なども入ってきませんでした。
消費税アップの需要増の影響で
建材類が品不足になることは
毎回のように起きますが、
予期していない災害の場合は、準備できないので困ります。
トイレの便器や洗面台をネットや電話で探しまくり、
最終的にはオークションで私が落札して仕入れ、
業者に支給して、仮に取付けてご入居して頂いたこともあります。
9年後の今も、新型肺炎の影響で、
パナソニックやTOTOなどを含んだ大手で
納期回答不能の連絡が、1か月程度前から出ています。
部品を含めて中国工場から商品が入ってこない、
期日がハッキリしないためです。
昨年の夏も台風の影響と被害で
職人さんと材料が不足して大変なことになりました。
おととしもありました。
今年の夏も、台風には注意です。
新型肺炎、オリンピック、そして災害と
職人さんが足りない、材料が手に入らないという
ジレンマと、建築士でも解決できない無力さを実感します。
スタッフと良い意味で驚いたことがあります。
先日、代々木上原で16年前にミタス一級建築士事務所が設計監理して
新築した戸建てに、久しぶりにお伺いしたときのことです。
「東北大震災の時に、娘と2階リビングにいたのですが
地震に気付きませんでした。遠方にいる兄弟からの電話で初めて知りました。」
と聞いたことです。
調べたらこの地区も、事務所のある地域と同じ震度5弱でした。
「そんなことがあるか?」とスタッフとも驚きました。
事務所の近くに新築した木造2階建てで、
震度4の地震が来た時も
「わずかに揺れた、地震かな?程度」とお聞きして
「よしよし!」とスタッフと喜んだことはありましたが
震度5弱で気付かないって、良い意味で想定していませんでした。
これからも、地震や台風の災害や新型肺炎など様々な予期しない
障害が、いろいろ起こると思います。
そういう中でも、少しでも前向きに過ごせるように
一番大切でベースになる住宅を少しでも快適になるように
建築士として設計監理し、向上させていきたいと思います。
私にできることは、それしかないと思っています。
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ご意見があれば、お気軽にどうぞ!
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