「遠慮の哲学」
遠慮するクセ
どこか遠慮
遠慮の気持ちは
どこからくるのか
ちょっと哲学してみよう
いい人に見られたいのか
嫌われたくないのか
迷惑をかけたくないのか
自分だけがガマンすれば
すべてがうまくいくと
思っているのか
思いやりとガマンを
行ったり来たりか
そのくせ
拗ねてみたり
モヤモヤしたり
反対側から考えてみよう
遠慮されたら
どう思う?
何だか寂しい
水くさい
頼ってほしい
甘えてほしい
本当の気持ち
伝えてほしい
信頼されていないのかなと
思うかもしれない
ああそうか
信頼したらいいのだ
頼ったらいいし
甘えたらいい
本当の気持ちを
伝えたらいいのだ
ときにそれは
小さな勇気
まずは気づくこと
見つめること
自分の本当の気持ちを
素直になって
当たって砕けろ
あなたは思ったよりも
みんなに愛されているんだから
(晶子)
遠慮しながら、人の顔色を見ながら、生きている人も少なくないだろう。
遠慮というものは、性格のクセみたいなもので、何とも厄介。
自分は本当は何をしたい。
自分の本当の気持ちは何だろう。
どう感じた。
自分はこう思った。こう感じた。
まずは自分で気づき、丁寧に伝える。
クセはなおせる。
新しいクセをつけたらいい。
あなたはもっと自由に生きていいんです。
ワガママになっても大丈夫なんです。
楽しい時間を過ごすことができると、心に余裕が生まれます。
今日も素敵な一日になりますように🎵