こんなに楽しい!みやび流押絵

各教室での押絵の作品や、道端で出会った季節の移ろい、クスッと笑えるテーマもありますよ~

永遠の藤田まこと

2010年02月19日 | 悼み

藤田まことさんの急逝は、とてもショックでした。
特に母絹甫は、デビュー間もない「びっくり捕り物帖」の頃からの大ファン。
昨日は大変な落ち込みよう・・・

俳優としても歌手としても、年々その味が渋みを増し、最後まで輝きながら旅立たれた方だと思います。
健康面や私生活は、必ずしも平穏では無かったようですが、それらすべてを栄養にし、最後まで芸の道を深められましたね・・・

藤田まことさんと言うと、今でも語り草になる楽しい話が。

時は40年近く前の4月1日。
私は日本画を習っていた先生の展覧会で、
三宮にある会場のお手伝いをしていました。

折りしもエイプリルフール。
何か面白いことをしなきゃな~~と思ったその時、
ふっと頭に浮かんだのが、母の大好きな藤田まことさん!

母は丁度その日の午後、会場に来る予定だったのですが・・・
携帯の無い当時のこと、公衆電話で我が家にプルプル~~~

「もしもし~!!私、私!!
 エライことよ~~!!
 今、会場に藤田まことが来たはるんよ!!
 先生と大のお友達なんやって!
 すぐ来たら、会えるよ!!」

「エ~~~~~??!!ほんと~~??!!
 すぐ行くわ!!待っといてもらってよ!!」

あまりの上手く行きように、ワクワクニヤニヤ・・・be
待つこと30分。
家からタクシーを飛ばし、息せき切って会場に走り込んだ絹甫。

先生にお祝いの言葉も忘れ、
「??どこよ、どこにいたはるん?」
「誰が~~?」
「藤田まことが来たはるんでしょ?!」
「今日、何日~~?」
「・・・・・
 あんたは、も~~~~~~!!!!!soppo
会場を追い掛け回す、40代なり立ての若かりし絹甫でした。meromero2


残念ながら、いまだにあれを越えるエイプリルフールはありません。
懐かしい当時を想いだしながら、藤田まことさんへ心からの
お悔やみを申し上げたいと思います。
どうぞ安らかにお眠りください・・・



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