ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

遠距離ドライブ 1

2015-10-04 00:07:45 | 時は輝いている
快晴。

どうしても何やかんやで毎日は書けない、
日時がずれてしまうが、忘備録、ボケ防止程度にゆっくり書いて行こうと思う。

昨日から再び前向きというか、DIYなどに取り組みだした。
義兄が亡くなり、急に実家のゴタゴタに熱中し出した旦那とは話し合いを重ねている。
とにかく旦那は、義兄嫁あげ、あげるためには私さげが酷く、
私がここで爺婆抜きでぬくぬくと幸せに暮らしているのが許せないとな。
何でも私の幸せは義兄夫婦の犠牲の上に成り立っていると言い出した。

初心に戻って時系列に私達の今の生活に至るまでの年表を、義兄の結婚の時期と照らし合わせて説明する。
私達が結婚した時期には、すでに義兄は義両親の家を大改造ビフォー・アフター並みに直して、
新興宗教の独身女性からその条件をのんでくれた人がきてくれて(それが義兄嫁)2世帯ですでにスタートしていた事。
その頃の義両親はひたすら長男教なので、同居できる事に大層幸せそうであり、
(その後、孫が出来れば、出来たで、皆のゴハンを作り、可愛くて目から出したり、入れたりしておりの時期もあり)
次男の旦那と私の結婚については、私の家の跡継ぎに婿にくれる、姓も私の名前で良いと言ってくれた事、
当時私が住んでいたペット禁止のマンションで二人で暮らすようにと言った事などをぽつぽつと旦那に思い出させた。
実際、旦那が糖尿になろうと実の親なのに私の親よりも無関心で注意すら払わない。
私の癌も、母の癌もしかり。
しかし、今回の様に向こうに病人が出れば、もしくは自分が病気になればこちらを巻き込む。
その他の書かない、今起きているゴタゴタも、同居以前に、残った住人の性格+宗教の問題が多いと思われ、
私はもう聞かされても旦那の様に片方の言い分を信じられない、信じないどころかその口が良く言うよであり、
向こうからのニーズが来たら真面目に考えるが、自分から考えなしに、のこのこ口を突っ込むのはお手上げであることも言う。

義兄夫婦は結婚してから、ようは死が二人を分かつまで一度も喧嘩が無かったという、
私達は喧嘩ばかりであり、葬式で喧嘩が無い夫婦という話を聞いた時に、私達はこのまま二人でいる意味があるの?とも思っていた…。
ただ、私達は、いつ何時お互いが消えた時にも、残された方が死後の雑多な手続きで困らない様にしよう、
(いつも汚部屋で困っているが、貸金庫も使い)貴重品のありかなど、近頃の天災に備えても、普段からきちんとしよう、
(現在、義実家は書類の山と探し物で大困りしている)、
子供のいない夫婦なので、公正証書遺言を近いうちに、亡き母のように今から書こう、などの私の言い分を聞いてもらう。
また別れるなら別れるで、ここの家を売るなり考えよう、鳥も里親に出そうなどと思うと。

「こういう話をしても、実家の事ではっちゃけていたらバカだわ、逃げようwwww」と思っていたら、
何故か私に対する風当たりが急激にしぼんだ。
また昨日、叔母の家族葬のお通夜に出席し、そこでも汚部屋をハケーンした様で、
少なくとも片づけたり修復する気概のある私に、ペットの事を言わなくなった。
(むしろ旦那側の従弟の増えたウズラを貰ってもヨシの許可が下りる!旦那従弟は動物好きで私は好きだ。)

そして、私に早朝から遠距離ドライブに行って、この葬式続きの近頃を気分転換したいと言う。
勿論、家でじめじめ議論している場合ではない、車の中でも、ことごとく今後の有り様を議論したほうがいいので受けて立つ。
助手席と運転席では逃げれない距離、話し合いには最適だ!

さて、どこに行くのかと聞くと、義兄の死で行けなかった小布施のブラムリーフェアだが、
やはり小布施(のブラムリーリンゴを売っていた小布施屋)と善光寺だという。
小鳥と猫をざっと世話し、おにぎらずとコーヒーポットを持ち慌ただしく出発する。






6時33分に家を出て8時50分頃、世界遺産の富岡製糸場に到着するので見学。
ガイドさんもいるので200円出してもついた方がいいです。

写真が多過ぎ。
最後の織機が日産製、レンガがフランス積み、天井を支える木のトラスが素晴らしい、ベランダ作りあたりがツボでした。
工女の寮が、赤城、榛名、妙義あたりが頭文字Dの地名だと思ったり…。
コメント
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