軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の「防災訓練」 と 歴史

2018-10-28 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 雨が上がり    いいお天気に恵まれた昨日の日曜日   

 軽井沢では   軽井沢町の「 防災訓練 」 が実施され 想定は 活火山、浅間山の噴火予兆・・

 何日か前と 開始直前にも     「 訓練 」 と 断りも繰り返されたけれど

 訓練途中に      長倉地区の停電広報も 追加されたりして(これは どうもホンモノ・・) 

 事例が事例だけに   思い起こすことも多い

   軽井沢町の浅間山の噴火を伝える歴史の中では 天明3年(1783)の噴火が記録にも話題にも知られている

 当時 江戸時代で    中山道の宿場町だった 追分・沓掛・軽井沢宿 は 

 軽井沢宿が全焼してしまったものの    人的被害は早期の避難で僅かで済み

 風向きの幸運もあって 追分、沓掛には 沢山の火山礫、降灰があったものの   悲惨な状況は免れたと伝わる

 軽井沢から見れば浅間山の向こう側に位置する   群馬県側により甚大な被害をもたらしたと伝えられている

 溶岩流、火砕流の噴出の影響で発生した土石流などで   山上の神社境内にたどり着いた村人だけが助かったと伝わる

   当時の村の人口570名のうち、477名もの人命が失われた 

 近年になっても 専門家や大学などの研究は断続的に続いているようだけれど その  「 鎌原観音堂 」以外にも

 当時の惨状、   火山災害の凄まじさを伝える遺産はあって

 

           

 

 芦生田(現 嬬恋村芦生田)地区の   県道沿いには こんな 一瞬にして土石流に埋没した大木が発掘され

    災害の歴史を物語っている

 観光や散策の道すがら 足を止めて 当時のことにも思いを馳せてもらえるといいね・・      

 

コメント (1)
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