ここ何日か ボクの森の下に住む仲良しの奥さんのお家で、時々呼んでくれる
お茶を飲みながらのお話会で 好き勝手に・・あ、イヤ・・ 集まったそれぞれが
見たこと聞いた事、知っていることを話したり 持っている画像や資料を見せ合ったり
盛り上がると日時を約束して見て歩きに出掛けたりしちゃう お話の会を頻繁に楽しんでいる
そこで、静かなブ~ムにもなっている江戸時代の中山道が 軽井沢町を通過していて
宿場が3つもあったので いつもの話題以上に 何かと話したい人がいて賑やかだったんだ
黙って聞きながら、いつもお茶会の場所を提供してくれた お茶を淹れ続けてくれる奥さんには
感謝してもしきれないんだけれど、話好きの面々は甘え続けているんだな・・ ボクも・・
前のお話で 軽井沢、沓掛、追分の3宿のお話を聞いて
ガイドブックに載っていないお話もいくつも聞いて 最後に追分宿西側の
「 分か去れ 」のお話が出たんだな・・
明治だか大正だったかに撮影されたって画像に 追分の宿外れから中山道らしい左に行く道と
似た様な泥んこの道が右方向に向かって行っていて 現在整えられた三角地の光景とは
だいぶ違ったものだったらしい
あそこの 正面の三角地頂点に立つ道祖神は 江戸時代が過ぎてから祀られたものらしい
これと併せて全部で9体の石造物があるけれど 道祖神以外が刻まれたのは江戸時代のようだね
こどもを抱いたお姿の地蔵様は 「 分か去れ 」道の行く末の 更科や御吉野(みよしの)を
読み込んだ歌が刻まれ 当時の主だった目的地、通過点迄の里程も刻まれている
現在は車の通行も激しく、物寂しい雰囲気は無くなってきているけれど
江戸時代はおろか、自動車交通が盛んになるまでは真夏が過ぎると
特に、日暮れ以後は心細い辺りになった事だろう
軽井沢にゆかりの深い 北原白秋氏の「 からまつ 」の詩の一節にあるけれど
からまつの林の道は われのみか、ひともかよいぬ
ほそぼそと通う道なり さびさびといそぐ道なり
これが詠まれた星野地区周辺でも無ければ 植林されたカラマツ林があったわけでもないけれど
人通りの少ない頃合いは こんな風情漂う雰囲気だったのかも知れないね・・
今は なかなか 交通が激しい「 分か去れ 」だよ
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