瑞穂のラグビー好き

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天才達part2

2005年08月17日 | 思い出話
  「2011年WC開催地決定まであと 93日」

イアン ウィリアムス「奇跡の疾走より」

彼は、三洋との社会人決勝の奇跡の7秒間で一躍スターになった。
でもその影には日本ラグビー界に外国人選手が入りだした頃の裏話
特に、日本についたらホテルでなく会社の寮で6帖一間。連休中で
話し相手もなく、3日目には「情けなくて泣けてきた」と実感の
ある記事でした。

 彼は大学で、野球とラグビーの両方の国の代表に選ばれ
(どちらかと言うと野球のほうが好きだったみたいである)
縁あって神戸製鋼へ、先ほどのような苦労もありながら、
1年間は出場できないと言うスポーツ選手にはとても厳しい状況を
乗り越えた。武藤、大西両選手との交流をはじめ、第2回WCに
ワラビーズに挑戦しながら選ばれず、自国の優勝を日本でTV観戦
していたと言う場面にはジーンと来ました。

 その後、大西主将時に副主将としてラグビー部の強化に力を入れ
今の神戸の基礎を築いた。当時は日本ラグビー隆盛期で、
日本選手権が6万人満員の観客の前でプレーできたことはとても
印象に残っているようだ。
(その反面関西リーグでは観客も少なく寂しかったようですが)
そういう意味から行くとトップリーグのできた今は、夢のような
環境にありながら観客動員が少ないのはなんとも皮肉な現状ですね。

まったくの蛇足ですが、1963年9月23日生まれの彼にとって
私は2日お兄さんです。