子育ては失敗させてなんぼ・・・と思っている私。
これも不登校から学んだことです。
失敗を恐れて、親が指示命令をだし、常に道先案内人になっていたら、
はたして、子どもは自身の足で立ち続けることができるのでしょうか。
辿りつくべきところに辿り着いたとしても、
何かのきっかけで、脆く崩れてしまっては困ります。
これからの社会、ひとつの場所に居続けられるとは限らない。
変化にどれだけ対応できるかだと思うし。
どんなことが起きても自分の足で立っていられるためには、
その人の経験則がものを言う。
失敗の経験があってこそ、ストレス耐性もついてくるものだと思うし、
失敗の数だけ、乗り越え方も身についてくるものだと思います。
「社会で自立できる人間」を目指すのであれば、
どれだけその子に失敗させてあげられるか・・・ではないでしょうかね。
寄り添って守ってあげるより、
少し離れて黙って見守る。
この方がずっと大変です。
手出し、口出ししたくなるものだしね。
でも、大変であったとしても、将来的には楽になるはずです。
こどもが自分で考えて自分で行動できるようになるからね。
そう思ったところで、なかなか上手くはいかないのだけどね
でも、そういう意識を持っているだけでも違ってくると思います。
主人がかつて言っていたことが出てきました。
こんなこと言ってたんだ~
まずは転記します。
「だいたいさ。勉強もやらないしさ、今だって寝ているし、だらしないんだよな。だから、失敗をさせるって違うってことがわかっただろ?火事に例えるなら、ほとんどの人は火事を経験しなくなって火の始末に用心し火事を防いでいる。経験しなくたって判断できるしわかるようになるんだよ。火事を起こして気づかせるなんておかしな話だよな」
「やっぱり学校に戻った後、勉強も何もやらせなかったらいけないんだ。
5年生の時はいいとしても、6年生だって、中1の時だって何もやらないのを放置していた。あの時の対応が間違っていた。その時に怠け癖がついた。あなたは学校に行っていることだけで満足していた。友達と遊んだり、剣道部で頑張っているからとかさ。学校に行くことだけを目的化していた。勉強は本人が気づくべきだと放置していた。俺はそれは違うと思っていたよ。学校に行かなくたって家で勉強すればいい。勉強とはいわなくても、自分の目標みたいなのを決めてそれに向かって行動できればいい。それができないのなら学校へ行っても意味がないよ。そこがあなたと根本的に考えが違うんだよな」
これは、ケン太が中2くらいの時でしょうかね。
ケン太は勉強をやらないことを主人は相当気にしているようですね。
もっと気になっていたのは、私がそれを放置していたということでしょうかね。
「学校に行かなくたって家で勉強すればいい」ってねぇ~
じゃあ、やらせてみてください。
やりますか?
目標をもって行動しますか?
主人はいろいろ仕掛けていたのです。
でも、ケン太は動きませんでした。
それが答えなのに。
私が放置(私の言葉では、見守り)していて主人と同じように仕掛けないから、
ケン太がそうなってしまったと思っていたようです。
「それができないのなら学校へ行っても意味がないよ」ってねぇ~
勉強は自学でも塾でもできます。
いつからでも始められます。
私は学校に行く意味づけとしては、社会性を養うべきところと捉えていました。
確かに根本的に主人とは考えが違っていたようです。
主人は離婚まで考えていましたからね。
「勉強」をさせないことが「失敗」ではないと思いますよ。
する、しないは個人差です。
親の力量でもないです。
そもそも子どもの問題です。
勉強しない子は学生時代は苦労すると思います。
先生にも言われるだろうしね。
怒られるのが嫌だったらやればいいし、
それでもやらないのなら、なんとかすり抜ける術を身に付ければいいし。
本人が選択することです。
先生に言われても親に言われても、やらない子が、
社会に通用しないということはないです。
やらなくたってどうにかなるさと構えている子?
むしろ、その「大物」さを必要とされるかもしれません。
「勉強はするもの」という価値観をもって子どもにプレッシャーをかける。
しないことに罪悪感をもたせる。
そういう子育てをしていると、
宿題が終わっていないから学校に行けないと休んでしまう子になってしまうかも。
「真面目」だけど「逃げ」を覚えてしまうことにもなります。
それこそが子育ての「失敗」となってしまうかも?
主人は今は、何も言いません。
学生が終わったのでもう勉強は関係ないですが、
将来がどうのとか、目標がどうのとか、そんなことも言いません。
言ってもどうにもならないって気づいたってことでしょうかね。
でも、これも言いたくて仕方がない時があったからこそ、気付けることかなと思います。
基本、黙っていようと思いつつ、何かあれば言ってやろうと思っていた時は、
ケン太は察しがいいですから、主人が帰ってくる気配を感じたら、さささと自分の部屋に逃げ込んでいました。
ケン太から主人に話かけることもありませんでした。
今は逃げないし、自分からも話しかけるようになったし、
親子関係もよくなってきたなと思います。
子どもの問題を子どもに返すことで、
親子共々、楽になりました。
なによりも、勉強をしなかったことで、今、ケン太は困っていないと思います。
英語が大の苦手なのに、外人のお客さんがたくさん来るようです。
「英語をもっと勉強しておけばよかったな」ではなく、
「PCのところに連れていって、翻訳ソフトで会話すれば大丈夫だから」と。
英語を話せたほうがいいなとか、勉強しようとかいう気持ちはさらさらございません
世の中、なんとかなる。
なんとかすればいい。
それでOKですね!
これも不登校から学んだことです。
失敗を恐れて、親が指示命令をだし、常に道先案内人になっていたら、
はたして、子どもは自身の足で立ち続けることができるのでしょうか。
辿りつくべきところに辿り着いたとしても、
何かのきっかけで、脆く崩れてしまっては困ります。
これからの社会、ひとつの場所に居続けられるとは限らない。
変化にどれだけ対応できるかだと思うし。
どんなことが起きても自分の足で立っていられるためには、
その人の経験則がものを言う。
失敗の経験があってこそ、ストレス耐性もついてくるものだと思うし、
失敗の数だけ、乗り越え方も身についてくるものだと思います。
「社会で自立できる人間」を目指すのであれば、
どれだけその子に失敗させてあげられるか・・・ではないでしょうかね。
寄り添って守ってあげるより、
少し離れて黙って見守る。
この方がずっと大変です。
手出し、口出ししたくなるものだしね。
でも、大変であったとしても、将来的には楽になるはずです。
こどもが自分で考えて自分で行動できるようになるからね。
そう思ったところで、なかなか上手くはいかないのだけどね

でも、そういう意識を持っているだけでも違ってくると思います。
主人がかつて言っていたことが出てきました。
こんなこと言ってたんだ~
まずは転記します。
「だいたいさ。勉強もやらないしさ、今だって寝ているし、だらしないんだよな。だから、失敗をさせるって違うってことがわかっただろ?火事に例えるなら、ほとんどの人は火事を経験しなくなって火の始末に用心し火事を防いでいる。経験しなくたって判断できるしわかるようになるんだよ。火事を起こして気づかせるなんておかしな話だよな」
「やっぱり学校に戻った後、勉強も何もやらせなかったらいけないんだ。
5年生の時はいいとしても、6年生だって、中1の時だって何もやらないのを放置していた。あの時の対応が間違っていた。その時に怠け癖がついた。あなたは学校に行っていることだけで満足していた。友達と遊んだり、剣道部で頑張っているからとかさ。学校に行くことだけを目的化していた。勉強は本人が気づくべきだと放置していた。俺はそれは違うと思っていたよ。学校に行かなくたって家で勉強すればいい。勉強とはいわなくても、自分の目標みたいなのを決めてそれに向かって行動できればいい。それができないのなら学校へ行っても意味がないよ。そこがあなたと根本的に考えが違うんだよな」
これは、ケン太が中2くらいの時でしょうかね。
ケン太は勉強をやらないことを主人は相当気にしているようですね。
もっと気になっていたのは、私がそれを放置していたということでしょうかね。
「学校に行かなくたって家で勉強すればいい」ってねぇ~
じゃあ、やらせてみてください。
やりますか?
目標をもって行動しますか?
主人はいろいろ仕掛けていたのです。
でも、ケン太は動きませんでした。
それが答えなのに。
私が放置(私の言葉では、見守り)していて主人と同じように仕掛けないから、
ケン太がそうなってしまったと思っていたようです。
「それができないのなら学校へ行っても意味がないよ」ってねぇ~
勉強は自学でも塾でもできます。
いつからでも始められます。
私は学校に行く意味づけとしては、社会性を養うべきところと捉えていました。
確かに根本的に主人とは考えが違っていたようです。
主人は離婚まで考えていましたからね。
「勉強」をさせないことが「失敗」ではないと思いますよ。
する、しないは個人差です。
親の力量でもないです。
そもそも子どもの問題です。
勉強しない子は学生時代は苦労すると思います。
先生にも言われるだろうしね。
怒られるのが嫌だったらやればいいし、
それでもやらないのなら、なんとかすり抜ける術を身に付ければいいし。
本人が選択することです。
先生に言われても親に言われても、やらない子が、
社会に通用しないということはないです。
やらなくたってどうにかなるさと構えている子?
むしろ、その「大物」さを必要とされるかもしれません。
「勉強はするもの」という価値観をもって子どもにプレッシャーをかける。
しないことに罪悪感をもたせる。
そういう子育てをしていると、
宿題が終わっていないから学校に行けないと休んでしまう子になってしまうかも。
「真面目」だけど「逃げ」を覚えてしまうことにもなります。
それこそが子育ての「失敗」となってしまうかも?
主人は今は、何も言いません。
学生が終わったのでもう勉強は関係ないですが、
将来がどうのとか、目標がどうのとか、そんなことも言いません。
言ってもどうにもならないって気づいたってことでしょうかね。
でも、これも言いたくて仕方がない時があったからこそ、気付けることかなと思います。
基本、黙っていようと思いつつ、何かあれば言ってやろうと思っていた時は、
ケン太は察しがいいですから、主人が帰ってくる気配を感じたら、さささと自分の部屋に逃げ込んでいました。
ケン太から主人に話かけることもありませんでした。
今は逃げないし、自分からも話しかけるようになったし、
親子関係もよくなってきたなと思います。
子どもの問題を子どもに返すことで、
親子共々、楽になりました。
なによりも、勉強をしなかったことで、今、ケン太は困っていないと思います。
英語が大の苦手なのに、外人のお客さんがたくさん来るようです。
「英語をもっと勉強しておけばよかったな」ではなく、
「PCのところに連れていって、翻訳ソフトで会話すれば大丈夫だから」と。
英語を話せたほうがいいなとか、勉強しようとかいう気持ちはさらさらございません

世の中、なんとかなる。
なんとかすればいい。
それでOKですね!
