さてこちらも次女のお気に入り。
レオ・レオニさんの「ペツェッティーノ」です。
次女はこの絵本がいちばん好きだといってました。
ほかのみんなは大きくてすばらしいけれど
自分は小さくてとるになりないから
きっと誰かの部分品だろう、
誰の部分品かたしかめにいこう、ということで旅にでます。
そして出会うみんなに自分は誰の部分品かたずねます。
そして―。
すごく深いです。
「ぶぶんひん」ということばがとても親しみやすく、気になります。
次女もそうだったようで、
以前「ぶぶんひん」ということばで物語を作ってました。
そのときに「なぜ部分品ってことばを使ってるんだろう???」なんて
思いましたがこの本の影響だったんですね。
「部品」でなく「部分品」ということばがいいですね。
「部品」だと機械か歯車のように生き物の感じがしなくなりますよね。
やっぱりこの絵本、大好きなようでくいいるように読んでました。
学校の絵本より色が薄い!なんてことも言ってました。
でもたぶん同じものだと思うから、
きっと彼女のイメージでは濃かったんでしょうね。
小さい次女。
きっと彼女も自分を見つけているところなんでしょうね。
レオ・レオニさんの「ペツェッティーノ」です。
次女はこの絵本がいちばん好きだといってました。
ほかのみんなは大きくてすばらしいけれど
自分は小さくてとるになりないから
きっと誰かの部分品だろう、
誰の部分品かたしかめにいこう、ということで旅にでます。
そして出会うみんなに自分は誰の部分品かたずねます。
そして―。
すごく深いです。
「ぶぶんひん」ということばがとても親しみやすく、気になります。
次女もそうだったようで、
以前「ぶぶんひん」ということばで物語を作ってました。
そのときに「なぜ部分品ってことばを使ってるんだろう???」なんて
思いましたがこの本の影響だったんですね。
「部品」でなく「部分品」ということばがいいですね。
「部品」だと機械か歯車のように生き物の感じがしなくなりますよね。
やっぱりこの絵本、大好きなようでくいいるように読んでました。
学校の絵本より色が薄い!なんてことも言ってました。
でもたぶん同じものだと思うから、
きっと彼女のイメージでは濃かったんでしょうね。
小さい次女。
きっと彼女も自分を見つけているところなんでしょうね。