忘れな草の花籠

確かハンドメイドブログだったはず・・・

魂は

2019-08-27 10:39:45 | Weblog
「魂は」

悲しみは、言葉をうつくしくしない。
悲しいときは、黙って悲しむ。
嘆きが言葉に意味をもたらすことはない。
純粋さは言葉を信じがたいものにする。
激情はけっして言葉を正しくしない。
恨みつらみは言葉をだめにしてしまう。
ひとが誤るのは、いつでも言葉を過信してだ。
きれいな言葉は嘘をつく。
この世を醜くするのは、不実な言葉だ。
誰でも、なんでも言うことができる。
だから、
何を言い得るか、ではない。
何を言い得ないか、だ。
銘記する。
言葉はただそれだけだと思う。
言葉にできない感情は、じっと抱いてゆく。
魂を温めるように。
その姿勢のままに、言葉をたもつ。
じぶんのうちに、じぶんの体温のように。
一人の魂はどんな言葉でつくられているか?

「一日の終わりの詩集」より


昨日、がんばって部屋のかたづけをやってました。
もう必要ない学校からの手紙やらお知らせやらをとっておいたのが
かなりな量あったので処分してました。
するとその中の一枚にふと目をひくものがありました。
学級通信だったのですが
その中に長田弘さんの詩があげられ
「言葉を大切に」というメッセージが書かれてありました。
捨てられず、思わず日記の記事にしてしまいましたが。

深いですね。
「人と話すことは、しゃべることではない。
人の言葉の中にある沈黙を受け取る、ということだ。」と
書かれてありましたが、まさしくそう、共感します。
そうなんですよね。
言葉がそのままの意味をなしているのなら
とってもわかりやすいのですが
そうでない場合もあります。
むしろそちらののほうが多いかもしれません。

その言葉から
言外にこめられた想いを読み取る、
その難しさといったら・・・。
しかもその言外の想いの読み取りが正しいのか正しくないのかも判断できず、
誤解を生みだす可能性もありますよね。

なので私は電話は苦手です。
ふだん私は相手の顔を見ながら声のトーンや話しかたやら間やらで
相手の言いたいことを理解しようとします。
電話だと表情が見えないのでわかりづらい。
さらに耳がよくないせいもあってか
相手のことばも聞き取りづらい。
顔を見ながら話してても聞き損ねることもあるので、
これが電話となると難易度が上がります。
用件だけの電話でも苦手なのに
さらに想いをぶつけられる電話はもっと苦手なのです。
しかも電話だと沈黙がプレッシャーになるのでテンポあげないといけませんし。

沈黙が苦にならない相手といっしょにいるのが
心地いいよね、と言われたことがありますが
まさしくそう。
想いの入ってない虚飾だらけのことばよりも
想いのこもった沈黙のほうが貴重ですよね。
もちろん想いのこめられたことばはそれだけでパワーになりますが。

ことばはやはり難しいです。
だからこそことばの重み、大切さをかみしめたいな、と思います。
クジラのように
歌で自分の想いを素直に伝えられたらいいのにね。(笑)


今日はどうしても塩うどんを食べたい!買いにいくぞっ!
って思って計画たててたのに
夏休みだそうです。(行く前に知ってよかったけど)
しかたないので今日は病院に行ってお片づけの続きでもやります。←結局まだ終わってない


さて本日もがんばりましょう!


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