3.11以降の「朝まで生テレビ」、5月6月7月と「原発」に関係するテーマでした。
7.24も「徹底討論!原発」。
リアルタイムでは試聴できないので、を録画で見ました。
「賛成」「反対」の立場を明確にしての、討論。
反対の立場の方は
「放射能を核容器の中に閉じ込めることは不可能。なぜなら、容器は壊れる可能性がある」
「原発は劣った技術」「人間がコントロールできないこと自体が、劣った技術」
「政府の支援を止めたら、原発は経済的に成り立たない」
「アメリカはスリーマイル以後新原発の建設を行う会社がない。事故のリスクが大きすぎるからだ」
「事故は必ず起こると思わなければならない」
「原発のコストは年々上がっている。アレバ社がフィンランドに作っている施設は、2005年に3500万ユーロ→1.5兆ユーロに上っており、完成まで、もう4.5年かかる。」
賛成の立場の方は
「化石燃料が枯渇するなか、安定的なエネルギーとして原発は必要」
「日本が残していくべき技術」
「事故が起きても「死者は0である」
この議論の中でイタリア人のピオ・デミリアさんの「社会的コスト」についての発言しましたが、司会の俵さんは一蹴してしまいました。
しかし、一般の国民感情からすれば、やはり福島の人々の状況は、つらいことです。
仕事も生活も、何カ月にもわたって、修復できないところまで追いつめられて、汚れた大地が残される。
知らずに受けた放射能による、健康への不安も大きいです。
そして、いったん事故が起きれば、被災地以外の場所に住んでいても、生活と健康がこんなに脅かされ、不安のうちに生活することになります。
この事実こそが、「脱原発」の理由です。
討論に参加している人たちは、一般のこのような感情に言及することはありません。
彼も言ってましが、私も前から思っていたのが「国民投票」です。
選挙はいろいろな争点があり「ワン・イシュー」での選挙で、投票を迫られても、実際は政党のその他の方針も含めて、投票することになってしまいます。
大事な問題は、国民が自ら決めるべきです。
「脱原発」を決めた国の特徴には「核兵器を持っていない国」「国政に直接参政権を行使している国」との指摘もありました。
日本も大事なことは「国民投票で決めなければならないと思います。
私も、選挙に出かけようとは思いませんが、国民投票でなら、自分の意思を行使するようになると思います。
この討議に中で、「死者が一人も出ない」「そんない大きな事故ではない」「乗り越えなければならない」といった意見があります。
この言葉に大きな違和感を感じます。
次回のブログで、この言葉の意味を考えようと思います。
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