日本人てば漢数字が好きよね(果たしてそうなのか
“感数字”っていわれるくらいだしね(たぶんいわない
「一か八かに懸けるしかねぇ」とか「四の五の言ってんじゃねぇぞコラ」とか咄嗟に出てしまうし
(シチュエーション的にどうなのって話だが)
そんな日本人(!?)は漢数字の中でも七五三が、とりわけ好み。
“七五三”は子供の成長を祝う行事だけじゃない
奇数が縁起のよいものとされるのは、たぶん中国の影響??
“三番叟”は、そんな縁起物尽くしの演目だし。
......
ところで3年目の浮気とか35年目の破局もあるんだから、
7年目のプロポーズだって。
お付き合いして7年目にプロポーズされて結婚することになりました
なんて不思議でもなんでもないし、おめでたさも倍増するけど(そうなのか。
わたしが思い出したのは“7年目”じゃなくて、まさに7年。
平成7年に受けた、プロポーズのことなので。
というのも一昨日、所属団体の50周年を記念する刊行物のために。
資料“魁年鑑”を紐解きに行ったんだが@図書館
わたしの担当「昭和62年~平成6年」に該当するそれを探っていて、
たまたま平成7年のところに文化庁主管の邦舞公演の記事を見つけた。
そこは既に担当外だったので、まとめた文書には付記として載せておいた。
実際、所属団体がどのような関わりを持っていたのか曖昧で。
必要な事項か判断できなかったけれど、なんかボンヤリ記憶の片隅に残っていたんだよね。
移動芸術祭だったらしいから中央部から偉い先生とか、お見えになって...。
本物の日舞を、わたし達に見せてくださった。
あの時、確か流儀の大先生までも移動バスに乗られて。
次の目的地に向かうのを手を振って、お見送りしたような...。
他にも流儀の、、、かなり身近な存在の先生が、お見えになってわたしに何か言ったような。
...(*´ェ`)ボー...Σ(*゜ェ゜*)ハッ!!!!!!
思い出してしまった...
舞台前その先生の元を師匠(母)と楽屋に、ご挨拶に伺った際。
先生は舞台で一人場当たりをされていて
その舞台上の、ぃゃ花道のところで先生に。
「Yちゃん、ボクんとこ来ない!?」
と言われたってことを(Yちゃんとはモノスヤの本名だ)
当時を指を折って遡ったら、わたしはちょうど後に娘M嬢(のまき)の父親となる人と。
結婚を前提に、お付き合いしていたので。← っつうかそれすらすでに忘れていた人
その場で、その旨をお伝えして丁重にご辞退申し上げると。
「な~んだ、ざんねんだなぁ~。」
と、あっさりその話は水に流された。(しかもあんまり残念そうじゃなかったような)
正直ものすごく尊敬している師(現在ing系)なので一瞬、心が動いたことは間違いない。
もし話に乗って嫁ぐようなことでもあったら、
わたしは今や押しも押されぬ奥の様...。
ときおり師匠もその話を蒸し返して惜しいことをしたと言ったりもしていたが
後日その先生が他所でも別の人に同じようなことを言っていた、というウワサを聞いた。
移動芸術バスに乗って師は何をして歩いていたんだww
しかも今ともなれば、あれが正式なプロポーズだったとは。
とても思えない(思えなくなってきた)
もしかしてあれは、オレんとこに来たらもっとビシバシ扱いてやるとか。
もしくは“家政婦”として雇用されようとか、そういう話だったのかも...。
どっちにしろ師の元で何かを吸収していたら、
わたしのその後も大きく変化していたとは思うが...。
そうなっていたら、のまきもわたしの元にはいないし。
愛弟子ちゃん達や、このネットでのご縁なども得られていないと思うと。
これは、こうなるべく選択をしたんだなと思える。
後悔はないけど、、、(けどって何w
ちょっと、そっちの方向性も進んではみたかったわww
......
しかし当時の(7年の)師の姿を思いだそうとすると、
どうも朝ドラの“ほっし(以下略)”が浮かんできてしまうのが困りもの。
ウチでは似てる、と評判ではあるんだが。
以前スピードスケートの“しみ(以下略)”選手に似ていると思ったことを
率直に師に伝えたら、ムッとされたことを忘れていないんで。
素直過ぎるのも困ることがあるってことで皆まで言わずにしまっておこうっと
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“感数字”っていわれるくらいだしね(たぶんいわない
「一か八かに懸けるしかねぇ」とか「四の五の言ってんじゃねぇぞコラ」とか咄嗟に出てしまうし
(シチュエーション的にどうなのって話だが)
そんな日本人(!?)は漢数字の中でも七五三が、とりわけ好み。
“七五三”は子供の成長を祝う行事だけじゃない
奇数が縁起のよいものとされるのは、たぶん中国の影響??
“三番叟”は、そんな縁起物尽くしの演目だし。
......
ところで3年目の浮気とか35年目の破局もあるんだから、
7年目のプロポーズだって。
お付き合いして7年目にプロポーズされて結婚することになりました
なんて不思議でもなんでもないし、おめでたさも倍増するけど(そうなのか。
わたしが思い出したのは“7年目”じゃなくて、まさに7年。
平成7年に受けた、プロポーズのことなので。
というのも一昨日、所属団体の50周年を記念する刊行物のために。
資料“魁年鑑”を紐解きに行ったんだが@図書館
わたしの担当「昭和62年~平成6年」に該当するそれを探っていて、
たまたま平成7年のところに文化庁主管の邦舞公演の記事を見つけた。
そこは既に担当外だったので、まとめた文書には付記として載せておいた。
実際、所属団体がどのような関わりを持っていたのか曖昧で。
必要な事項か判断できなかったけれど、なんかボンヤリ記憶の片隅に残っていたんだよね。
移動芸術祭だったらしいから中央部から偉い先生とか、お見えになって...。
本物の日舞を、わたし達に見せてくださった。
あの時、確か流儀の大先生までも移動バスに乗られて。
次の目的地に向かうのを手を振って、お見送りしたような...。
他にも流儀の、、、かなり身近な存在の先生が、お見えになってわたしに何か言ったような。
...(*´ェ`)ボー...Σ(*゜ェ゜*)ハッ!!!!!!
思い出してしまった...
舞台前その先生の元を師匠(母)と楽屋に、ご挨拶に伺った際。
先生は舞台で一人場当たりをされていて
その舞台上の、ぃゃ花道のところで先生に。
「Yちゃん、ボクんとこ来ない!?」
と言われたってことを(Yちゃんとはモノスヤの本名だ)
当時を指を折って遡ったら、わたしはちょうど後に娘M嬢(のまき)の父親となる人と。
結婚を前提に、お付き合いしていたので。← っつうかそれすらすでに忘れていた人
その場で、その旨をお伝えして丁重にご辞退申し上げると。
「な~んだ、ざんねんだなぁ~。」
と、あっさりその話は水に流された。(しかもあんまり残念そうじゃなかったような)
正直ものすごく尊敬している師(現在ing系)なので一瞬、心が動いたことは間違いない。
もし話に乗って嫁ぐようなことでもあったら、
わたしは今や押しも押されぬ奥の様...。
って奥様っていうのは、お家の奥に置かれっぱなしの様とは違うよね??
(汗。ときおり師匠もその話を蒸し返して惜しいことをしたと言ったりもしていたが
後日その先生が他所でも別の人に同じようなことを言っていた、というウワサを聞いた。
移動芸術バスに乗って師は何をして歩いていたんだww
しかも今ともなれば、あれが正式なプロポーズだったとは。
とても思えない(思えなくなってきた)
もしかしてあれは、オレんとこに来たらもっとビシバシ扱いてやるとか。
もしくは“家政婦”として雇用されようとか、そういう話だったのかも...。
どっちにしろ師の元で何かを吸収していたら、
わたしのその後も大きく変化していたとは思うが...。
そうなっていたら、のまきもわたしの元にはいないし。
愛弟子ちゃん達や、このネットでのご縁なども得られていないと思うと。
これは、こうなるべく選択をしたんだなと思える。
後悔はないけど、、、(けどって何w
ちょっと、そっちの方向性も進んではみたかったわww
......
しかし当時の(7年の)師の姿を思いだそうとすると、
どうも朝ドラの“ほっし(以下略)”が浮かんできてしまうのが困りもの。
ウチでは似てる、と評判ではあるんだが。
以前スピードスケートの“しみ(以下略)”選手に似ていると思ったことを
率直に師に伝えたら、ムッとされたことを忘れていないんで。
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ざんねんながら、まだ(笑)でした
羨ましいなとマジ読みしましたよ(笑)
コメントありがとうございます(^O^)
近々、結婚はされないです(笑)。
しばらく縁遠そうです(^。^;)
一生ないかも(^▽^;)