どうでもいいんだけど。
(別に好きでも嫌いでもないし)
「この人ってなー...」
苦笑が付きまとうタイプではある。
何を考えているのか何を考えているのか本人じゃないから、わからないし。
たぶん周囲も、よくわからないんだろうし。
もしかしたら自分という人も、わかってないのかもしれないけど。
悪気は無い、んだよね。きっと。
悪意は。
故意とか深意とかが無くて、その時その時で自分の直感なんだか選択なんだか。
とにかく“自分”を信じて行動や発言しているように見える。
考えてるのかもしれないけど考えなしにも見える。
“やさしい”の言葉が、とても似合う人だとは思うけど。
“やさしい”が、すべて幸せ?にはつながらないような気もする。
やさしい男は、たぶん誰に対してもやさしくて。
そんな男を微笑ましく誇らしく見ていられる女は、そうそういない。
もちろん心底のやさしさは持っていてほしいと思うけど......
そうそう、さもさも誰彼に“やさしく”あってほしいとは思えない。
そんな自分は心が狭いんだろうか。
誰に対しても、やさしいというのが。
本当の、やさしさなのか。
甘さとは違うのか。自己満足や自己虚栄心では、ないのか。
目に見えて表立って誰からも、やさしい人といわれる人が。
本当に、やさしいのかな。やさしさって、なんなのかななどと。
考えたりしてしまう。
どうせプロポーズをされたのは、わたしじゃないから。
わたしには所詮、関係のない話だけど(笑)
大きなお世話、下世話な話ではあるけれど。
いつ?ダメになるの?と考えてしまったのは、わたしだけじゃ...(以下略。
“言葉の刃”を人に向けることがある。
振りかざすことがある。
自分が引いた「譲れない一線」を土足で踏まれたと感じた時。
個人的感情があって、この人を信じられないとか。
好きになれないとか。認めたくないとか。
その存在を否定的に思うことも時折は、あるけれど。
だいたいは自分だけのものにおさめ、あるいは自分の中の“ゴミ箱”行きにするか。
水に流すこともあれば、「どうでもいいフォルダ」にしまいっ放しのこともある。
たまたま、ひとり同じような感情を抱く人と出くわす。
似た感覚を持つ人が、いるものだなと思う。
ふたり同じような気持ちを持つ人と話をする。
自分を含めて3人くらいなら、これは我々だけの独個感なのかと考える。
それが自分以外にも4人、5人と同様な見解を表す人が出れば。
これは、いよいよ普通ではない。
黙ってやり過ごすべきか何かアクションを起こすべきか。
引かないほうが、いいのかなどと考えてしまう。
たまたま自分を入れた6人が似たような不信な気持ちを表した。
いいようのない不安な気持ちも覚えた。
楽しい時間に影を落とした。
このまま進んだら、きっと嫌気がさす。
黙っていられなくなり言葉の刃を相手に向ける。
とはいえ、ことネット上のこととなれば直接対峙するわけではなく。
脳で生んだ言葉の羅列が指を伝わり画面なりに表されて、
わたしの怒りというより憤りを表現する。
...
ネットを介するということは、ほとんどは相手の特定は許されない。
一部と相手となる人が読めば自分(その人)のことだと、わかるような書き方を選ぶ。
読む人が読んでも誰のことなのか、どこの話なのか。
根拠なく、しぼれない内容として書く。
なぜ、わたしがそんな方法をとるのか。
もちろん相手を限定して物を申す事は個人を誹謗中傷していると取られかねないから気を使う。
しかし、こちらは名前から性別年齢また顔まで曝して書くことに意味を持つ。
だからといって組織に属していたり家庭を持っていたりで、それが誰しも許されるわけではない。
逆に、そうすることが危険な人もたくさんいる。
わたしでも、まったく危険が及ばないわけではない。
心配の声を寄せられることもあるし明らかにすることで制約も受けるけれど。
自分を出して自分を表すことに意味があると思っている。
自分を出さず特定させず危険のない状態に置いておいて。
好き勝手な発言をするのも勝手だけれど。
周囲を不安や不信にさせて、いい理由はない。
影響力を持つ人であればあるほど、その振る舞いには気を配ってほしい。
自己の保身だけ万全にしてほしくない。
やるなら堂々と自分を出してからにしてよ、
と思う。
...
自分の日記やブログも含め、その内容は個人の自由であり他者が口を挟むものではないけれど。
他所の日記へのコメントなどは案外、色んな人が読んでいて。
それを不快に思ったり、その人について疑問を持ったりするもののようで。
そういうところに配慮が感じられないと、その人自体を何だか信じられなくなるのは。
当然かもしれない。
わたしだって不快感を、また不信感を与えていないとはいえないわけだけど。
自分を知らして出す言葉には責任を持つし、
それをしたいから自分の情報を出せる限り出して発信したいと思う。
自分を出さない人が発言をするな、というつもりはさらさらない。
でも、ある程度の覚悟を決めてやるのでない限りは。
ただ、ひたすら楽しいだけに終始して周囲に嫌な感情を抱かせないでほしいなと思う。
もちろん自分も我が身を振り返って反省も欠かせない毎日です。
珍しく、こちらが手薄になっておりましたが。
じょじょに、ペースを取り戻したいと思います。
...
「おなごごとき」
この言葉の後に続く言葉は、と問われたら。
わたしは「小癪な」を挙げたい。
いったい、いつの時代だよと。
時代錯誤じゃないのか?芝居か時代劇の話か、と笑われそうですが。
この現代で、こう評されました。
ぇぇ、わたくしです(笑)
これでも一応、性別“女”を持つ者として。
「おんな」を認められたのは、うれしくもありますが。
そこに「ごとき」と続くと、なぜか穏便には済まされないムードに陥るのは。
わたしの心根が歪み曲がっているせいかもしれない。
...
災禍を被るとしたら、それはこちらの側にも非があるわけで。
わざわざ災いの種を撒き、また火には油を注いだ結果といえるわけで。
そういわれたことに反省すべき点は多々ある、と思いつつも。
このご時世この現代で今どき。
おなごごとき、とは何事かと。
思っては、みたけれども。
いまだに、こういう考えを持つ人は相当あるのかもしれません。
いわれたように、たぶんわたしの小癪さがそうさせるに違いなく。
生意気の鼻をへし折ってやりたいと思われても如何ともし難いのですが。
おなごごとき上等。
小癪上等と真っ向から受けて立つ勢いで。
また、つまらぬ者(者?)を斬ってしまうのでした。
強さや威圧には屈する気は、さらさら無いが。
こういう人間ほど、こんにゃくとか(そういうもの)に弱くもあり。
組み敷くならば力では無いんだがなーと思ってみたりするのでした。
英国式の占星術理論で分析!「明日のあなたへの助言」
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明日のモノスヤさんは行動的になる必要があります。
結果を考えないで、目の前の物事に思い切って飛び込んでみましょう!
例えば上司から大きな仕事をふられても、「無理」とけして口にしないで、喜んでそれを受けるのです。
「反射神経」」を信じるようにするのです。
振り返る必要はありません。前だけを見つめてください。
スピード重視でてきぱきと行動を進めるのです。
立ち止まって考えるのではなく、歩きながら考えることにしましょう。
目の前に扉があったらノックをするのではなく、取りあえず開けてみるようにしてみてください。
後悔や、昨日を悔やむことは厳禁です。
欠点を修正するよりは、長所を伸ばすようにして。
もし、1失敗したとしたら、10の成功でそれを打ち消せばいいだけのこと。
質より量を重視してください。恥をかくことを恐れないでください。
それよりも保守的になることを恐れて。
明日のモノスヤさんはとにかく前進あるのみ! です。
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ジョン・フローリー「結論分析占星術」~現実を読み解く5つの目線~
明日あなたに起こる「素晴らしい出来事」
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モノスヤさんは今日までにもうじっくりと物事に思考を巡らせてきました。
反省もし、今の自分に足りないものもしっかりと把握していることでしょう。
落ち着いた気持ちで自分にできることとできないことをしっかり分けて考えて、余裕をもって目の前の仕事にあたることができるはずです。
明日は考えること・頭を使うことを一旦やめて、とにかく手足を動かしてみてください。
実務にとても良い運気の流れがあります。
また、スポーツに関わる仕事に就いているのならば大きな進展があることでしょう。
頭脳労働が多い仕事の場合は書類の整理をするなどして「動く」ことを意識してみるといいですね。
今まで考えてきたことが実を結び始めるときですから、
少しくらい独りよがりになっても構いません。
人間関係の細かな機微を気にしすぎることなく、自己主張してみてください。
手と足、そして「口」を動かすことで大きな幸運を呼び込むことができますよ。
...
人間関係の細かな機微を気にしすぎることなく、
自己主張してみてください。
自分の今、悩んでいることそのものへの答えが出た。
自分は自分を主張することに決めました(笑)
このところ、ひと月と二十日ばかり地域中心型の輪に交じっています。
そちらを主体に活動?しているので(と、こちらが手薄な言い訳を。。
さて地元発信のそこでは不景気風を吹き飛ばそうと様々な方が様々なアプローチを仕掛けています。
そんな中、地元ならではの長所だけではなく短所についても語られたりしているのですが。
それについて今日しみじみと感じ他の方とも話したことがあったので、こちらに書きます。
...
比較的、控え目というか奥床しいというか悪くいえばアピール力不足が否めない。
なかなか押し出しが弱いんですかね。
押し出されて出ることはできるんだけど、それがなく自分から出ていくことがなかなかできない。
人に持ち上げられることを待っているところが多いような気がします。
ということは逆に、ガンガン出ていくタイプの人間を煙たく思う傾向に?
あるんじゃないかと。
そうすると、どうなるかというと。
出る杭を打とうとする方向に。。
これは我が地元だけではなく他でも、どこでもありえる傾向だとは思うのですが。
とりわけ地元では顕著なような気がします。
...
それから自分の周囲に、イエスマンを置きたがる。
ちょっと違う意見や沿わない見解を述べると急に攻撃を始めたり排除しようとする。
もちろん、そんな方ばかりではないことは承知していますが。
何だか、それに該当する人(の割合)が多い気がして。
意見は交わして闘わせてこそ、だと思うのですが。
それが失われると当然、閉鎖的になりますよね。
...
さもさも地元のために、と立派な発言をされている方が。
やっているのは単に自分が気持ちよくなるために親衛隊を周囲に侍らせているだけ。
というのには、ガッカリしてしまいます。。
格好の好いこと仰るから、さぞかし地元のために尽力してくれることと思いきや。
交際相手探しだったりした日にゃ呆れて、モノもいえなくなります。
ただ、わたし達は(それなり)忙しく(そんなに)ヒマではないので。
そういう人には関わらない、という意見の一致をみました。
君子危うきに近寄らず。
やや意味が違うかもしれませんが無駄に時間を取るより自分たちなりの活性化の道を模索して。
歩んでいったほうが、ずっと建設的。
いずれ淘汰されて口だけの人は消えてなくなることでしょうから...。